ボゴタにある『コロンビア国立博物館』の9つの魅力とは?

コロンビアの首都ボゴタにある『コロンビア国立博物館』

元々刑務所であったコロンビア国立博物館。当時、あまりに綺麗な建物と内装だった為、大統領が

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刑務所を取り壊さず博物館として残すのはどうか?

と考えたのがきっかけでした。そんな元刑務所であった「コロンビア国立博物館」には、様々な美術作品が展示されています。

残念ながら、展示品のほとんどはスペイン語であり、博物館のガイドさんもスペイン語がメインで、英語がほとんどありません。コロンビア国立博物館の近くにある「黄金博物館」には、豊富な英語翻訳や英語のガイドもあります。

そんな博物館で、夫カミーロの力も借りながら、スペイン語のガイドさんの説明してくれた内容をまとめてみました。博物館にある作品の意味が分かれば、結構面白いかも?それでは、一緒に見ていきましょう!

コロンビア国立博物館の館内の様子

コロンビアに750kgの重さの隕石が落下

1810年のある金曜日の夜。コロンビアに750kgの重さの隕石が落下しました。写真の隕石は411kgで、一部の隕石を切り取ったものです。 93%の鉄、6%のニッケル、0.7%のコバルト、0.2%の炭素および0.1%のリン、硫黄およびクロムからなっています。この隕石が、コロンビア国立博物館に入るとすぐ目の前に入って来ます。

コロンビア国立博物館の大広間で360度絵画を一望

大広間みたいな部屋では、360度絵画を一望出来ます。植民地時代から20世紀末までの絵画を集めたこれらのコレクションを、一望できるのです。ここが元刑務所だったとは思えないですよね?

ここだけでなく、コロンビア国立博物館には主に絵画が展示されています。時々、写真の中にあるピアノのような展示品なんかもありますが、基本はコロンビアを代表する画家たちの作品ばかりが飾られています。

コロンビア国立博物館に飾られている壁一面の絵画

よく見ると、牢獄のような出入口がありますよね?刑務所だったと事前の説明が無ければ、インテリアとして見てしまいます。他にも、

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この博物館は、刑務所だったんだなぁ。

と思わせる一面があります。

コロンビア国立博物館の館内の廊下(元刑務所)

それは、廊下です。細長く、それぞれの部屋が牢獄だった事が窺えます。

コロンビアで有名な芸術家たちの絵画

コロンビアで有名な芸術家|ロベルト・ピザーノの肖像画

彼は、ロベルト・ピザーノと言います。1910~1930年代に活躍した芸術家です。ボゴタの美術学校で学んだ後、教師として勤めました。彼はヨーロッパに2回旅行し、偉大な芸術家たちの模写に専念していたのです。そして、フランスやイタリアを旅行した後、ボゴタの美術学校のディレクターを務め、生徒たちがヨーロッパのアーティストたちを知り、模写出来るように博物館を創設しました。

エフライム・マルティネスの『修道女の絵』

女性がハーモニカを演奏し、周りの6人の修道女が歌を歌っています。 明るい、かつ暖かい色調が特徴的ですね! この絵を描いたエフライム・マルティネスは神経質に苦しんで、病院に運ばれました。そして、絵画を美術学校で学んだ後に、カリで美術学校を設立しました。

リカルド・ゴメス・キャンツァーノの描いた絵画

これは、コロンビアの典型的な日常シーンですね。果物、野菜、陶器、建材など、あらゆる種類のものが、日常生活の環境を示すために強調されています。 リカルド・ゴメス・キャンツァーノは、ボゴタの美術学校で最初の研究を行いました。 1917年から1926年の間、スペインのマドリードで勉強した後、彼は1926年にコロンビアに帰国します。そして、美術学校の教授を務めた後、学校長を務めました。 彼の作品は、肖像画と風景のジャンルを扱います。

ヨーロッパの訓練を受けたアーティスト

1920年代には、コロンビアの何人かの芸術家が、国外で絵を継続して学ぶため、奨学金を受けました。フランス、イタリア、スペイン等の学校で受けた訓練は学術的であり、学外で自由に研究されたものもありました。

特に、フランスのパリとスペインのマドリードは人気だったようですね。中には、セザンヌ、ゴーギャンなどの主要な現代芸術に触れ合う機会があった者もいます。

ヨーロッパで学んだコロンビアの画家の若者たちは、国内における絵画の知識や20世紀のコロンビアのプラスチックアートへの取り組みへの影響を与えたのです。

昔のコロンビアの貧困格差を表した絵画

ツアーガイドさんが紹介してくれた、こちらの絵画。黒いマンティラと呼ばれる衣服に身を包み、ハイヒールの靴を履いた高貴な女性。もう一方は、手にバスケットを持ち、エスパドリルというサンダルを履いている貧しい老婆。この絵は、当時のコロンビアの格差を表現しています。

ちなみに、貧しい老婆が頭に巻いているスカーフは、おそらくヒジャブでしょう。ヒスパニック時代、コロンビアはスペインの影響を強く受けていたので、イスラム帝国の支配を受けていたスペインからの輸入品と思われます。

今でこそヒジャブは高貴な女性が身にまとうようになりましたが、昔は貧しい女性が身にまとうイメージがありました。ヒジャブについて、もっと詳しく知りたい方は、こちらの記事も読んでみて下さい!

こんな遠いコロンビアでも、イスラムの影響が少しある事に驚きです!また、この時代からコロンビアには大きな格差が存在していたんですね。その他にも、コロンビアの昔の貧しさが窺える絵画があります。

昔のコロンビアの農村部の農民たち

コロンビアの農村部の農民を描いたものですが、みんな靴を履かず裸足で農作業をしています。地面は整備されていないので、でこぼこの石なんかもある土の上を歩いて仕事をしているのです。

これには、理由があります。当時ちゃんと靴はコロンビアにもありましたが、でこぼこの地面なので、すぐ靴がダメになってしまいました。その靴を新しく買い替えたくない地主が、貧しい農民に靴代も自分たちの給与から補うよう指示したので、みんな靴を履かず裸足で作業する事にしたのです。

昔のコロンビアにいた物乞い(乞食)の老婆の絵画

こちらの絵は、乞食の老婆です。絵は、1920年代に描かれたものです。この頃の画家たちは、コロンビアの貧困問題に意識を向けていたのでしょうね。

コロンビア国立博物館以前の刑務所の歴史

コロンビア国立博物館になる前の元刑務所の歴史

コロンビアで19世紀後半の刑務所で使用された鎖、手錠などが展示されていました。

コロンビア国立博物館以前の刑務所にあった足かせやチェーン

さらに、足かせやチェーンも見られますね。しかし、1930年代には、刑務所制度が囚人の再生活動をより重視した為、体罰の重要性が薄れて行きました。

防寒用の半円形の小さな窓(コロンビア国立博物館)

半円形の小さな窓は、温かい日差しを得て寒さをしのぐために設置したようです。

近代(1948-1965)のコロンビア芸術

近代(MODERNIDADES)(1948-1965)のコロンビア芸術

リベラルのリーダー、ホルヘ・エリエセル・ガイタンが1948年4月9日に殺害された事件。

それをきっかけに引き起こされた暴動の結果、ボゴタの一部が破壊されました。この出来事は、コロンビアの歴史の中で最も最悪な流血のエピソードとなってしまったのです。この時代の画家たちは、現実の描写的な物語を色や形などの抽象的な方法で表現しました。

フェルナンド・ボテロの亡くなった息子

フェルナンド・ボテロと元妻カシリア・ザンブラノとの間の息子を描いた作品です。彼の息子は、交通事故で4歳の時に亡くなりました。 彼の息子の死後、ボテロは代表する数多くの絵画、彫刻の中で、全ての顔つきは子供の人生の最初の年を描いています。

左のたばこを吸う女性の絵は、コロンビアで

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よく見かけるよねぇ。

という特徴を表現しているそうです。

近代(1948-1965)のコロンビアの残酷な絵画

この絵画から、いかにコロンビアの暗黒の歴史が悲惨だったかが分かりますね。

自殺したコロンビア人カップルの絵画|コロンビア国立博物館

この絵画は、とても印象的です。この絵に描かれている2人にカップル、実は自殺をしています。そんな自殺前の二人の写真を撮影し、絵画として収めたのです。

近代のコロンビアで起きた、身分違いの恋をきっかけに自殺にまで発展した恋物語。この2人の写真は、当時のボゴタの新聞にも掲載され、人々を驚かせました。

自殺したコロンビア人カップルの新聞掲載記事|コロンビア国立博物館

こちらが、実際の写真です。死ぬ前に、せめて綺麗に写ろうとしたのでしょうか?洋服や表情まで、その後に自殺しに行くカップルにはとても思えません。この写真は、彼らが自殺した後、お互いの両親へと届けられたのです。

コロンビア国立博物館の「モダニティルーム」

コロンビア国立博物館にある「モダニティルーム」

モダニティルームというこの部屋では、1948年後半~1970年のコロンビアの文化的な場面を見学できるよう、様々な作品を展示している部屋です。文化的、農村的、都市的、国内的、宗教的、政治的な様々な空間における変化。そういったものに関する、芸術的実践を理解するための部屋でもあります。

左足のないダビデ像を意識した実写

こちらの作品は、ミケランジェロのダビデ像をモチーフにして撮影されました。実際に撮影された写真です。ダビデの彫刻に似ていますよね。ですが、ただ一点ダビデ像とは異なる特徴があります。それが、左足がないということ。

たとえ障がいがあっても、私たちと同じで美しい。そう訴えかける写真なんですね。

コロンビア国立博物館にある「多様性の壁」

この壁は「多様性の壁」と呼ばれています。コロンビア共和国の生活と並行した歴史に光を当てており、本当に壁一面に昔の絵画やデジタル写真がずらーっと並んでいるのです。多様性の壁は、国の社会的構造と自然環境を反映しており、国家の建設を手伝った多数の俳優・女優さんたちを含んでいます。

コロンビア国立博物館にある「イエス・キリストの祭壇」

十字架に縛られたイエス・キリストの祭壇。当時の職人は、スペイン人やコロンビアの先住民族と入り混ざっており、祭壇の装飾も文化的な混合物を装飾品に反映しています。花の模様や果樹、ココアやウィスカーなどの表現は、ヨーロッパやアメリカ、アフリカ、アジアの要素を取り入れているのです。

ここまで文化的に入り混じった展示品があるのも、コロンビアならではでないでしょうか?文化の融合には、ちょっとした歴史があります。アメリカに来たヨーロッパの伝統と合併した後に、アフリカの人々が奴隷としてもたらした影響も、コロンビアにはあります。そういった理由から、コロンビアの文化は独特なのですね。

モダニティルームには、植民地時代以前のコロンビアの黄金時代の装飾品も展示されていました。さらに、コロンビアの黄金時代について詳しく知りたければ、「黄金博物館」に行くことをおすすめします!

こちらの記事で詳しく書いているので、ぜひ参考に!

ホルヘ・エリエセル・ガイタンの歴史的瞬間

ホルヘ・エリエセル・ガイタンの撃たれた跡

このランニングシャツが、何故こんなところに展示されているのか?

それは、このランニングシャツが、コロンビアの歴史を変えた男が銃で打たれた瞬間に着ていたものだからです。その男の名は、ホルヘ・エリエセル・ガイタン。彼は自由党の政治家であり、コロンビアの貧困層に対しての演説を行ったり、デモを行ったりしていました。

彼が、コロンビアの政治を変えるだろう。

誰もが、そう期待しました。しかし、何者かによって暗殺されてしまうのです。4発の銃撃のうち、3つの弾丸が彼に当たりました。暗殺した青年は、

犯人のフアン・ロア・シエラは27歳の貧しい青年で、犯行直後に激昂した群衆により隠れていた薬局から引き出されて殴り殺され、群衆は遺体を街頭に吊るした。

(出典:Wikipediaより)

と、かなり過激に殺されています(汗)暗殺者が死んでしまった事により、誰が黒幕なのかが分からなくなっています。純粋に、その青年自身が犯行に及んだのか、誰かに頼まれ殺したのか…。今でも、真相は謎のままです。

そんな、ガイタンが暗殺された場所を、なんとボゴタではツアーとして見学する事も出来ます。

良ければ、こちらの記事もご覧下さい!ガイタンの死後、コロンビアは「暴力の時代」へと突入してしまうのです。

有名なフェルナンド・ボテロの生涯について

「フェルナンド・ボテロ」の生涯とは?

ヨーロッパと北米で、「マスター」という言葉は、芸術分野における明白な権威を表しました。一般的に、広範な経歴、経験、専門分野などから判断され、年配の専門家に与えられる称号でもあります。

それを、メデジン出身のフェルナンド・ボテロは若いうちに取得してしまうのです!20歳で国立芸術家サロン内で第2位、26歳で第1位を獲得し、29歳でニューヨークの現代美術館に彼の絵が売却されました。

メキシコ画家から影響を受けたボテロの初期作品

そんなボテロの初期作品には、メキシコの壁画家の現代アートなどから影響を受けていました。1951年、若いボテロはボゴタですぐに多くの成功を収めました。 1952年の国立芸術家サロンで初めての個展と賞金を受賞した20歳の彼は、ヨーロッパで絵の修行を重ねました。

パリの現代美術への彼の最初の関心は、イタリアのルネサンスの巨匠、ロベルト・ロンギ、リオネロ・ベンチュリ、バーナード・ベレンソンなどの理論家や歴史家となりました。

しかし、彼らから得た知識は、ヨーロッパに住む若いラテンアメリカ知識人に広められた、メキシコの文化的再生のイデオロギーと相違していたのです。

1955年にコロンビアに帰国したボテロは、ボゴタでは短期間の失敗に終わりました。そして、すぐにメキシコに定住し、彼の絵画に新しい影響が浸透し始めたのです。

暴力的かつ過度の色彩表現が特徴的なボゴタ作品

ボテロはメキシコに住んでいる間、ワシントン、シカゴ、ニューヨークのグループショーや個別の展示会に招待され、アメリカとの関係を強化しました。この期間は、彼のキャリアにおいて最も興味深く、暴力的かつ過度の色彩表現が特徴的であり、絵画の主題を描写しました。

その結果、ボテロは大きなプロとしての成功を収め、ニューコロンビアの絵画運動の卓越したアーティストとして彼自身の名を馳せました。 1958年に、国立芸術家サロンで絵画賞を受賞し、1960年にグッゲンハイム賞を受賞して以降、同年の同じサロンでは「競争対象外」と指定されました。また、彼のモナリザの絵は、1961年にニューヨークの近代美術館で買収されました。

コロンビアの日刊紙の見出しでボテロを皮肉

しかし、コロンビアの報道の注目と彼の名声の高まりは、必ずしも一致してはいませんでした。コロンビアの日刊紙の見出しで、彼の成功を幾分皮肉に書いています。一方、ボテロは直ちにその皮肉に応答し、反撃しました。

突然のポップアートの登場により、彼は絵画の何点かの要素を再考し、1963年にかけてニューヨークにいながら、表現力ではなくボリュームに焦点を当て、再び彼のスタイルを確立して行きました。

ボテロ作品の載った当時のコロンビアの定期刊行物

1958年の国立芸術家サロンでは、奇妙なスタイルのために最初は否定されましたが、議論の余地のある絵画として、ボテロが26歳の時にコロンビア最大の画家として定着しました。その作品は、個人ですぐに売れましたが、絵画の場所は未だ特定されていません。当時の定期刊行物に、掲載された絵の写真が残っています。

おまけ:その他の個人的に気になった魅力

最後は、お伝えしきれなかったコロンビア国立博物館の見どころです!今までは、それぞれの見出しテーマがありましたが、ここではひもくみが「?」と思った作品や興味深い展示品などをご紹介して行きますね♪

コロンビア国立博物館ではしおりを無料で配布

コロンビア国立博物館の入場料は、2,500ペソです。為替にもよりますが、大体100円以内で入れます。そこで貰えるのが、このしおり!コロンビアでのちょっとしたお土産にもなりますよね♪

コロンビア国立博物館のスペイン語ガイド

また、私たちみたいにガイドさんに案内してもらう事も出来ます。残念ながら、スペイン語のガイドが中心で、英語ガイドは曜日が指定されていたりと、なかなか見つけることが難しいかもしれません。

ですが、ガイドさんがいるのといないのとでは、コロンビア国立博物館の楽しみ方が大きく違って来るのも、また事実。なので、なるべくガイドさんがいるかを探してみて下さい。ちなみに、このガイドは無料です。

コロンビア国立博物館のホールでピアノ演奏

出入り口付近にはホールがあり、何か催し物が出来るみたいですね。私たちが遭遇したのは、ピアノ演奏でした。普通に上手でした。

コロンビア国立博物館の中庭

コロンビア国立博物館では、中庭にも出る事が出来ます。天気の良い日なんかは、写真のような緑豊かな美しい風景を楽しむ事が出来るでしょう。ボゴタの博物館で、ここまで緑いっぱいなのも珍しいかも?しれません。

蛇にそそのかされたイヴの銅像|コロンビア国立博物館

イヴが蛇にそそのかされて、リンゴを食べようとしている銅像が、何だか印象的でした。

コロンビア国立博物館の風変わりなアート作品

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これも、アート?

と驚きがあったのが、この作品。影と実際の機械で、一つの芸術作品として成り立っているのです。この他にも、絵画以外の驚きアート作品がコロンビア国立博物館には埋もれているので、ぜひボゴタで行ってみて欲しいです!

コロンビア国立博物館にあるUFOの絵画

最後は、UFOです(笑)まぁ、南米はUFOの目撃証言なんかも多いですしね。その影響かは分かりませんが、UFOの絵がひもくみにとって、印象に残っています。

ここまで、長々と紹介して来ましたが、まだまだコロンビア国立博物館には見どころ満載な魅力がいっぱい詰まっています!ボテロ作品や彼の歴史も、ここで分かってしまうんですよ?見るべきでしょ!

外国人観光客があまりいないからか、スペイン語が主流の博物館ですが、この先海外からの観光客が増えれば、

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英語翻訳やガイドさんも増えて来るかも?

と思うので、みなさんぜひボゴタに訪れた際は、コロンビア国立博物館に訪れてみて下さい!

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