ボゴタの『黄金博物館』にはコロンビアの黄金文明の痕跡が?
コロンビアの首都ボゴタある「黄金博物館」。ここでは、本当に黄金が展示されています。この博物館に行く時、私は当初舐めていました。なぜなら、コロンビアには至る所に博物館があり、少し博物館に見慣れていたからです。ですが、この「黄金博物館」だけは、スペイン語が分からない観光客でも唯一見応えがありました!
もし観光客であるならば、展示品を見て次の観光地へと向かわなければ行けません。しかし、私は現在コロンビアに住んでいるので、1日中この博物館を堪能する事が出来ました。そうは言っても、正直1日だけでは足りませんでした。それほど、多くの展示品があり、説明もあります。
果たして、この博物館にはどんな歴史が隠されているのでしょうか?それでは、見て行きましょう!
昔でも金を修理していた?
実は、昔でも金を修理していたんです。 何点かは使用時の損傷を受け、ワイヤー、バンドまたはねじを使用して再製作されました。しかし、製造上の欠陥がある場合は、新しい金属を注入して修復されました。
また、金以外の金属や合金は、使用時やその後の埋葬時に変形する傾向があります。例えば、合金中の銅は、地中の湿分および塩と反応し、酸化物を生成します。コロンビアの黄金博物館では、そうしたダメージから遺産を守る為、保存・修復に最善を尽くしているのです。
修理する重要性
黄金文明の時代、修理は重要なものとされていました。なぜなら、前任の王の王冠を何世代にも渡り継承していくことは、「系統」や「権威」の引継ぎを意味したからです。精神的・政治的リーダーへの「王冠」は、社会的結び付きやアイデンティティを生み出しました。人の頭の上に王冠が置かれた時、その人の尊厳を表したのです。
こういう背景から、この時代に修理を仕事とする人は、その「もの」を作った経験があり、器用さ、技術、知識がある者とされました。
冶金による社会の変化
冶金(やきん)とは、鉱石から金属を精製し、そこから合金を作る技術の事を言います。冶金は、世界中で異なる時期に発明されました。例えば、アナトリア、中国、北米の五大湖地域、中部アンデス諸島です。この内の一つとして、南米も含まれています。
冶金の重要性は、一般的な技術と同様に、世界、政治、経済、社会と密接に結び付いていました。コロンビアの金鉱山労働者は、技術的要因に影響されただけでなく、文化・社会的要因のためにも働きました。
金が輝き続ける秘密
金が輝き続ける為に、昔の人は工夫をしていました。光を反射する装飾品は慎重に磨かれ、鍛冶(金属を鍛錬して製品を製造すること)によって磨かれました。他のものは研磨されずに残り、光が消えています。
銅が加熱されると、合金中に存在する銅が酸化され、表面に濃い色の汚れを形成します。 職人は酸化された銅を植物性酸で除去し、薄い表層の金が輝くまで摘み取りました。
また、物体の表面が塩や酸に触れると、細かい穴が出来て、光沢が無くなります。あらかじめ、樹脂で保護されていた他の部品は、光沢のあるままでした。
鉱夫と金細工師とは?
鉱夫(こうふ)とは、専門的に金属を取り出す人です。彼は、高い評価と尊敬を得た専門家でした。金細工師は、技術や超自然的な知識を仕事に結びつけた為に、さらなる地位を築きました。その多くは、宗教的・政治的指導者です。
金、銅、そしてそれほどではありませんが、白金と銀は、コロンビアとして知られている領土でヒスパニック時代以前に使われた金属でした。 物々交換により、鉱業に従事していない多くの人々が、金工活動に必要な金属を取得することが出来たのです。
金の歴史について
ペルーとエクアドルでは、大陸に残っている初期の冶金学的遺物が見つかっています。ネックレスのビーズは、紀元前2100年から天然金の小さなハンマーシートでできていました。 その頃、アンデス社会が金製の装飾品などの高級品を着て、力を示した時代だったのです。
現在コロンビアとして知られている領土では、最も初期の遺跡で、主に紀元前500年から金色の物体が打たれています。 ここでは、ロストワックス(ロウを利用した鋳造方法の一種)を用いた鋳造や、金や銅合金を用いた鋳造などの複雑な技術が開発され、その後、中米やカリブ海にも広がっています。
金を持つ砂は、木製の陶器の鍋で円形の動きを使って洗われました。 より重い金と白金の小粒が底に残っていくのです。石軸とハンマーと、火で硬化した先端を備えた木製の棒が、川から砂利や石を取り除き、金を掘り起こすために使われました。
冶金による技術革新
色彩、輝き、質感、匂いは、古代社会から高く評価された特性であり、金細工師の技術において重要な役割を果たしました。 金細工師は、幅広い色の合金を選択するなど様々な冶金的技術革新を起こしました。また、洗練された仕上げにより、表面に新しい色調や明暗がもたらされたのです。
自然界では、金属は未加工の状態で見つけられます。なので、金属を抽出する為に、酸素を含まない環境を整え、炉内(ろない)の火を使用し、溶融(ようゆう)しなければなりません。これを、金属製錬と呼びます。
金細工職人は、貴金属から物体を成形する職人です。 金細工職人は、ヒスパニック系のコロンビア製の金工業で使用された幅広い製造技術で、金属の物理的および化学的特性に関する技術と知識を具体化しました。
金属製品が出来るまで
金属製品が出来るまでの過程を、ざっくりとですがまとめてみました。ちなみに、上の写真の金は、黄金博物館の密室の暗い部屋で、見る事が出来る黄金の山です。伝統的な音楽が流れ、金が壁一覧に飾られている。そんな黄金の部屋で、金の輝きを楽しむ事が出来ます。
伝統的な音楽は、元々コロンビア原住民の間で受け継がれて来た「パガメント(pagamento)」という音楽だそうです。コロンビアでは歴史上「暴力の時代」があり、この時にドラッグやマフィアなんかが流行りました。今では治安が改善されていますが、この時代のせいで原住民から引き継がれて来たコロンビアの伝統は途絶えがちになりました。なので、このパガメントは現在でも生き残ったコロンビアの伝統音楽なので、ぜひこの黄金だらけの部屋で聴いてみて下さい!
ハンマーの使用
シートを作るために、金細工師はインゴット(金属を貯蔵しやすいような形で固めたもの)を、金床(かなとこ)に当てました。 彼らは、合金、物体の大きさ、または作業の段階に応じて、異なる形状、材料、サイズおよび重量のハンマーを使用しました。これらのチゼルとハンマーには金と銅がまだ付着しています。
石の研磨機を用いてシートを平滑化し、均一な表面を得ました。
打ち抜かれた時に、金属は脆くなり破損する傾向にありました。金細工職人は、それが赤くなるまで加熱しなければならなりませんでした。 この手順を何度も繰り返し、思い通りの厚さや大きさになるまで打たれました。
銀は、中央アンデスのナリノ高原でのみ使用されました。 ノーズリング、イヤリングなどは、銅と銀の合金で出来ています。
エンボス加工
エンボス加工とは、板金や紙などに文字や絵柄などを浮き彫りにする加工のことです。職人は、彫刻でシートの裏側に装飾的なデザインを描きました。 その後、パンチ、エンボスツール、チゼルによって、両面のモチーフを強調しました。
石またはハンマーで硬化した銅チゼルを使用して、対象物を作り、最終形状に切断しました。スペースなどは、金属と石のチゼルを使ってシートを切断することにより得られました。
金と白金の焼結
トゥマコ・ラ・トリタ地域は、コロンビアとエクアドルの太平洋岸にあり、白金(プラチナ)が使われたアメリカ唯一の地域でした。金細工師は、通常白金を鋳造出来ませんでした。なぜなら、1775℃の高い融点を有するため、熱さに負けてしまうからです。
しかし、金と混合した白金の顆粒を加熱すると、金が溶けて白金を閉じ込めたのです。得られた地金をハンマーで打ち抜いて、加工することが出来ました。
コロンビア南西部の金細工師は、金色と焼結された白金部分を組み合わせて、2色の装飾品を作りました。金属顕微鏡では、白金(プラチナ)粒子が溶融金によって、どのように捕まえられるのかが分かります。
ワックスから金属まで
ヒスパニック以前のコロンビアでの 金細工職人の注目すべき特徴の1つは、ロストワックス法(ロウを利用した鋳造方法の一種)を使用した鋳造でした。 金細工職人は、装飾品や容器をワックスでつくった後、金属にしました。
ワックスは、蜂の入った蜂蜜などから得ました。 コロンビアでは、海抜から3,400メートルまでの高さ、特に熱帯雨林でこれらの種が見られます。
ワックス糸と薄いシートを作るために使用された石テーブル。 鋳物の型を作るために、チゼル、ミル、スラブ、ハンマーの助けを借りて作業しました。
ロストワックス法による鋳造
蜜ろうで形状を形成し、その形状を金属に転写するために金型を使用することにより、金細工は、現実的または抽象的な表現、微細な金属織物、または重装飾品の幅広い対象を作り出しました。
これらの金属のペンダントに刻印された指紋は、ヨーロッパ人に、先住民たちが手で金を直接造形し、モデル化したと考えさせました。 指紋には、ロストワックス法が用いられています。
金属の組み立て方法
金細工職人はワイヤー、釘または曲げの助けを借りて組み立てられたハンマーシートを使用して、体積を作り出すことを好みました。 彼らはまた、表面を加熱することによって部品を接合する方法や、金属間の接合部を形成するのに役立つ物質を使用する方法を発見する実験を行っていました。
熟練した職人の手に渡って、金は木や骨、粘土からあらかじめ作られた型を簡単に形成しました。 それらのエンボスシートは一緒に結合されたか、または組み立てられ、体積を作り出しました。 型は金属の下に残る可能性がありましたが、除去される傾向にありました。
こちらは、中の空いたイヤリング。爪と曲がりでつながった4枚のエンボスシートでできています。
あらかじめマトリックスにエンボス加工された金7枚を、金属釘を用いて組み立てて、この擬人化の容器としました。
エンボス加工、またはロストワックス法を用いて鋳造されたこのタイプの胸部プレートの頭は、曲げられたワイヤを使用して独創的な組立て方をし、ハンマーによって接合されました。
ビーズ玉の作り方
繊細なネックレスビーズ、ノーズリング、通常のリングは、小さい金の玉を結合することによって作られました。 ビーズは、接着剤と火を用いて炭化させ、一緒にくっつけられました。銅は、その融点未満の温度で球体を一緒に結合するのを助け、ビーズが変形するのを防止しました。
コロンビアのカリマ地域で発見された耐火陶器鋳型。その空洞に鋳込まれた金は小さなボールを形成し、それは粒状になって一緒に結合されました。
いかがでしたでしょうか?コロンビアの黄金博物館では、このような金属製品の製造・修理の過程や冶金の研究について、さらに詳しく知る事が出来ます。黄金博物館の入場料は1人につき4,000ペソ。日本円だと、大体150円です。しかし、日曜日になると入場料が無料になります。ひもくみ達も日曜日に行ってみましたが、
人だかりが、半端なかったです(汗)人が多いので、展示品の前でゆっくりと見るのが難しいかもしれません。平日の有料の日にも行きましたが、その時は比較的ゆったりと見る事が出来ました。なので、博物館好きな人は平日に行くのが良いでしょう。
また、黄金博物館の中にはお土産屋さんもあり、
本物の金が売っています。値段は聞きませんでしたが、高いことは間違いないでしょう。黄金博物館は、コロンビアの国立銀行が運営しています。元々、コロンビアの原住民から買い付けた金属品でしたが、量が多くなり博物館にしたのが、この黄金博物館です。
他に気になった事としては、黄金博物館の中にはお客様用アンケート置き場があり、黄金博物館に対しての意見を自由に書く事が出来ます。
ボゴタにある色々な博物館に行きましたが、アンケート置き場があったのは黄金博物館だけでした。他にもあったかもしれませんが、黄金博物館の館内では、特に目立ちました。
2回目の訪問時には英語のガイドさん付きで、「エル・ドラード」の魅力を伝えてもらいました。コロンビアのエルドラードや黄金ジェットのオーパーツ伝説について知りたい方は、こちらの記事もご覧ください!
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