ヒジャブとは?イスラム教徒女性たちが肌を隠す4つの理由
イスラム教徒の女性は何故ベールで肌を隠すのか?その事に疑問を感じた人も多いのではないでしょうか?最近のスカーフ(ヒジャブ)はおしゃれなものも多いですが、一昔前までは政治的シンボルとして見られていました。
そんな背景もあるヒジャブは、何故イスラームにおいて重要なのか?様々な観点から、イスラム教徒が肌を隠す理由について説明して行きたいと思います。それでは、見て行きましょう!
「ヒジャブ」とは一体何なの?
簡単に言いますと、イスラム教徒の女性が頭に巻くあの「スカーフ」です。実は、このヒジャブ。イスラム教徒たちが忠実に守らなければならない聖典クルアーンには、はっきりとヒジャブに関する定義は書かれておりません。
いつから、また何故ヒジャブと呼ばれるようになったのかは分かりませんが、長さや形状により呼ばれ方も地域によっては違って来ます。
ちなみに、ヒジャブは「hijab」を元にしているので、ヒジャーブと呼んでも構いません。「islam」がイスラムやイスラームと呼んで良いのと何ら変わりないのです。
そんな、ヒジャブ。定義がないと書きましたが、ヴェール着用に関しての記述は、イスラム教徒が信じている聖典クルアーンにもきちんと記されており、
信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし,貞淑を守れ。外に表われるものの外は,かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェールをその胸の上に垂れなさい。
自分の夫または父の外は、かの女の美(や飾り)を表わしてはならない。なお夫の父、自分の息子、夫の息子、また自分の兄弟、兄弟の息子、姉妹の息子または自分の女たち、自分の右手に持つ奴隷、また性欲を持たない供回りの男、または女の体に意識をもたない幼児(の外は)。またかの女らの隠れた飾りを知らせるため、その足(で地)を打ってはならない。あなたがた信者よ、皆一緒に悔悟してアッラーに返れ。必ずあなたがたは成功するであろう。(御光章第24章31節)
この記述が、ヒジャーブ着用として捉えられています。イスラームにおいて、女性は男性の前では慎み深く、そして身を隠すようにするよう定められているのです。
つまり、性欲に弱い男性の前で女性もきちんと自分の身を守りましょうね。女性は、美しいものなのですから。そういう意味で、ムスリマ(イスラム教徒の女性)たちはヒジャブ着用を勧めるのです。
子供は何歳からヒジャブを着用するの?
幼い子供は、ヒジャブを被る必要はありません。大体の女性は、生理周期の始まる13歳頃から被り始めます。また、サウム(お祈り)は6~7歳の間で始めます。ヒジャブの着用が義務かそうではないかは、人により見解が違うようです。なので、ムスリマ(イスラム教徒の女性を言う)によってはヒジャブを被らない人もいます。被る人の中でも自分の意思で被る人もいれば、親から指示または強制されてヒジャブを着用する女性もいます。
これは私の身近なムスリマ友達の一例ですが、親がヒジャブだけでなくイスラームの教えを極端に強制させた事により、後々その子供がヒジャブを被らなかったり、お祈りや断食などのイスラームの戒律から遠のいてしまったケースがあります。
ヒジャブを着用することの意味や大切さを子供たちに教えるのは大事な事ですが、意味をあまり理解しないまま被らせるのはおすすめしません。本人も納得した上でヒジャブを着けないと、将来的にヒジャブを脱ぎ捨てる可能性もありますからね。
なぜイスラム教徒女性たちは肌を隠すのか?
実は、このヒジャブ着用。イスラームの教えだから身に付けているだけでなく、環境や歴史などの時代の流れにより、「ヒジャブ」への捉え方は変わって来ています。

ヒジャブって、頭に巻く布だよ!それで、肌を隠してこそイスラームなんだ。
と言ってしまえば、簡単なのですが、決してそんな単純な理由ではありません。ここでは、なぜイスラム教徒女性たちが「ヒジャブ」を被り肌を隠すのか?
その理由について、もっと深く考察して行きたいと思います。
クルアーンの衣服に関する教えを守るため
先ほども、クルアーンの一説で、ヒジャブについての説明をしましたが、他にもイスラム教徒の女性が肌を隠すように記述されている箇所があります。
預言者よ、あなたの妻、娘たちまた信者の女たちにも、かの女らに長衣を纒うよう告げなさい。それで認められ易く、悩まされなくて済むであろう。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。
(部族連合章第33章59節)
これらのクルアーンの記述にある通り、女性は「ヴェール」や「長衣」で身を包むように書かれていますが、このヴェールや長衣がどれくらいの長さでどの程度隠さなければならないかまでの表記はありません。なので、ヒジャブのように胸までのヴェールであったり、ニカブやブルカなどのように全身を覆ったりと、形状はイスラーム圏により様々です。
しかし、これらクルアーンの教えの通り、ムスリマ(イスラム教徒の女性を言う)はなるべく身体のラインが分からず、肌の露出が少ないゆったりとした、長めの衣服を身にまとうのです。
アラブ地域の日焼け対策にもなっている?
アラブ地域に行った事がある人は分かるかと思いますが、エジプトやサウジアラビアなど、砂漠のある国では、気温40度を超える事なんか、普通にあります。
そんな暑い国では、直射日光が強く、太陽の照り返しも凄まじいのです。なので、性的に身を守る他に、熱さ・日焼けから身を守る役割もあったのではないか?という説もあります。
もちろん、ヒジャブを被る意味は、異性の前で慎み深くあるべきという意味なのですが、イスラームを広めた預言者ムハンマドも、サウジアラビアのメッカで誕生しております。当時も、きっと暑かったに違いありません。
気候や気温の影響により、スカーフを頭に巻く事はとても自然のことであった。そう考えれば、今でも「ヒジャブを頭に巻く」という機能を持っているのは、なんら不思議ではありません。
日本人の友人とエジプトに行った時、彼女はイスラム教徒でないにも関わらず、

ヒジャブ巻かないと日に焼ける!
と言って、自らスカーフを頭に巻いていました。最近では、日本でも日焼け対策の為に全身を覆うブルカに近い日焼け対策グッズが売られていたりしますよね。アラブの地域でも、ヒジャブが日焼けや熱中症対策になっている側面は、少なからずあるでしょう。
ヒジャブを巡るイスラームの歴史的背景
女性がヒジャブを被る習慣は、イスラームの誕生以前からありました。その習慣が、イスラームにも引き継がれている背景もあります。
そこからヒジャブが強制的であり、後進的なものと見なされ始めたのが、18世紀後半以降の西洋列強による植民地支配の時代です。その時代、トルコの初代大統領ムスタファ・ケマル・アタチュルクも西洋に追い付けと、トルコの近代化を進めていました。そこで、ヒジャブはイスラームの宗教的シンボルとして禁止され始めたのです。
ヒジャブ着用は近代化に従って廃れていくと思われていましたが、1980年代からヒジャブ着用が増加しました。1979年にイラン革命(イスラム革命とも言う)が起き、イスラーム復興が政治的、社会的変動を引き起こしたのです。
革命の背景には、近代化による国民間の経済格差や急速な西洋化政策、独裁国家への不満がありました。革命は成功し、イランはイスラーム共和国となります。それに伴い、1982年にヒジャブの着用は義務化され、ムスリマたちのファッションに変化が起きます。
イランの都市部では、国王に対する抗議運動が行われ、女性はイランのチャドル(体全体を覆う黒系の布)を着用しました。1980年代の映像で、その姿がしっかりと確認できますね。
エジプトでも同様に、1980年代から急にヒジャブを着用し始めます。イランやエジプトのこうしたファッションの変化の流れで、1980年代から明らかにヒジャブ着用の流れへと意図的に変化しています。つまり、ヒジャブが政治的シンボルとしての意味を持つようになったのです。
また、トルコでも1970~1980年代にかけて都市部を中心にヒジャブ着用者が増えます。行進的なイメージのあった「ヒジャブ」は、元々地方や農村部の保守的な女性が身に付けるものとされていました。
しかし、この時期にヒジャブを着用した女性は、中間層の都市部に住む高学歴女性たちだったのです。大学でもヒジャブを着用するトルコ人女性達も現れ、軍事政権は近代化を促進する世俗主義の立場を取っていた為、その動きに危機感を感じ、大学でのスカーフ着用を禁止します。
この措置に対して、ヒジャブ姿の学生、さらにはイスラーム主義者たちもデモ抗議運動に参加し、政治問題へと発展しました。実際に、トルコ人女性からこのスカーフ着用禁止の話は聞いた事があります。スカーフはダメでも、帽子とタートルネックであればOKだったそうです。
ここまでは、政治的反発に対してのヒジャブなので、地味で黒などの暗い色が多かったのですが、1990年代後半以降から変化し始めます。経済発展により、人々はおしゃれにお金かけれるようになりました。そうした事により、ヒジャブは多様化し、「ファッション商品」として定着していったのです。
例えば、雑誌や映画、ドラマ、オンラインショッピングなど、様々な場面でヒジャブが登場し、ヒジャブを身に付けるムスリマの消費を促したのです。
若者によるヒジャブ・ファッションの流行
1980年代に起きたイスラム革命により、ヒジャブは農村部だけに限らず、都市部の女性も着用するようになって行った。そんな、歴史的背景がヒジャブにはあったのです。
その時代のヒジャブは特におしゃれっ気もなく、むしろあえて黒などの暗めで地味な色を着る事により、イスラーム主義的立場を主張していました。
しかし、それが1990年代後半から変化します。ヒジャブを身に付ける女性たちが増え出した事に伴い、スカーフを販売する企業が成長していったのです。その特徴は特にトルコが顕著で、今までダサいとされていたヒジャブを現代的で、かつおしゃれなファッションへと変化させました。
さらに企業が競合しあってそのファッション性を高めていき、トルコだけにとどまらず世界各地にオンライン・ショップを通じて広まって行きました。どういったおしゃれなヒジャブがあるのか?
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他にはないオリジナルな巻き方ばかりなので、よければこちらも参考に見てみて下さい!
今まで地方農村部の低学歴の女性が着用していたヒジャブが、イスラム革命により都市部の高学歴の女性にまで広まった事により、ヒジャブ市場が拡大し、イスラーム系の企業が成長しました。すると、従来の無教養で低所得者の女性が着るイメージを連想させたヒジャブが、高等教育を受けた経済的に余裕のある女性が身に付けるヒジャブのイメージへと次第に変化して行ったのです。
実際に、スポーツや水泳用のヒジャブも登場しており、
ヒジャブを被る女性の経済的・時間的な余裕を窺わせます。これはヒジャブだけに限らず、ハラール認証の食品や化粧品、礼拝場所など、イスラームに関する事が「商品」となるビジネスが最近発展して行っております。ヒジャブビジネスも、この消費文化の一つの流れなのです。
また、今までと違い教養あるムスリマが増えた事により、受動的にイスラームを学ぶのではなく、自ら能動的にイスラームを学びは始める人達が増えました。ヒジャブに関する定義も、イスラーム専門家の解釈と自分の考えが合ったものを、インターネットや衛星放送から自分で選び取る事が出来るようになったのです。そのため、ヒジャブに関する定義は人それぞれであり、ヒジャブに批判的な人もいれば、全くヒジャブを被らないムスリマもいます。
いかがでしたでしょうか?時代により、ここまでヒジャブの価値や見方が変わるとは、私も思ってもいませんでした。最近のおしゃれなヒジャブが流行った原因は、歴史的にちゃんと意味があったんですね。
政治的変動により、イスラームのシンボルとしてヒジャブが使われたり、非難されたりする事は、これからの時代でも十分にあり得ます。時代や外部の影響によってヒジャブの見方が違うのは、もはや避けられない事情かもしれませんね。

ヒジャブは何故被るのか?
その質問に答えられた記事であれば、幸いです。それでは、アッサラームアライクム!
参照:『ヒジャーブ ・ ファッションが顕すもの:装いから見るムスリム社会の変化』森山 拓也
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