イスラム教徒になるためには、まずこのシャハーダ(信仰告白)を行わなければなりません。ですが、そもそも「シャハーダって何?」という方も多いでしょう。ここでは、シャハーダを行うにあたって理解しておかなければならない知識や、心構えなどを詳しく書いています。
シャハーダ(信仰告白)とは?
シャハーダ (証言)と はイスラームの核であり、次の2つのカリマによる信仰の証言です。
アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー・ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマド・ラスールッラー
(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはそのしもべであり使徒であることを証言する)
このシャハーダ(信仰告白)をすれば、いとも簡単にイスラム教徒になれます。ですが、この2つのカリマを心の底から信仰し、その行為も求められます。つまり、この2つのカリマを自分の中で、確信させなければなりません。イスラム教徒は中道を行き、正しい知識に基づいた信仰を持つことが求められるのです。
なので、クルアーンとハディース(預言者ムハンマドの言行の伝承)を学び、正しい方法でサラート(お祈り)やサウム(断食)などのイバーダ(信仰行為)を実践することよって、このカリマの真意を深く理解していくことがとても大切でしょう。
実は、アッラー(神)は信仰の強制を禁じているんです!
宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全聴にして全知であられる。
(雌牛章第2章256節)
このアッラーの言葉により、シャハーダも強制的に言わされるのではなく、自分の意志で行わなければなりません。また、シャハーダは人生の終わる時まで守り続ければ、火獄の懲罰からの救いともなるのです。
あなたがた信仰する者よ、十分な長敬の念でアッラーを畏れなさい。あなたがたはムスリムにならずに死んではならない。あなたがたはアッラーの絆に皆でしっかりとすがり、分裂してはならない。そしてあなたがたに対するアッラーの恩恵を心に銘じなさい。初めあなたがたが(互いに)敵であった時かれはあなたがたの心を(愛情で)結び付け、その御恵みによりあなたがたは兄弟となったのである。あなたがたが火獄の穴の辺りにいたのを、かれがそこから救い出されたのである。このようにアッラーは、あなたがたのために印を明示される。きっとあなたがたは正しく導かれるであろう。
(イムラーン家章第3章102-103節)
シャハーダをアラビア語で発音すると?
こちらは、英語でシャハーダ(信仰告白)の発音を丁寧に教えてくれています。
لَا إِلٰهَ إِلَّا ٱلله مُحَمَّدٌ رَسُولُ ٱلله
(アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー・ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマド・ラスールッラー)
シャハーダをする際、このアラビア語を実際に言わなければいけません。ですが、発音はあまり気にされません。イマームがゆっくりと言ってくれるので、それを真似すればアラビア語が分からなくてもシャハーダをする事が出来ます。
『ラー・イラーハ・イッラッラー』の意味
『ラー・イラーハ・イッラッラー』(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)は、とても重要な意味を含んでいます。このカリマをより深く理解するために、単語ごとに見て行きましょう。
まず、初めの「ラー」は否定であり、それに続く言葉を否定します。次の「イラーハ」は前の「ラー」によって否定されている言葉で、これは「崇拝されるもの」と言う意味があり、次のような意味を含んでいます。
- 心から愛されるもの
- 怖れられるもの
- 助けを請い求められるもの
- その命令と禁止に服従されるもの
つまり、「イラーハ」とは愛と怖れと望みを持って崇拝・服従される対象です。「ラー イ・ラーハ」とは、「イラーはない」、つまりこの地上にありとあらゆる崇拝を完全に否定しているのです。
そして次の 「イッラー」という言葉ですが、これは「・・・以外に」という意味であり、次に来る「ッラー(アッラー)」を除外します。つまりここでは 「アッラー以外に」という意味であり、この地上で崇拝 ・服従されるべき対象は 「アッラーだけ」であることを強調しています。
預言者ムハンマドは、多神教徒たちに苦しめられていた歴史があります。だからか、コーラン(クルアーン)ではシルク(多神崇拝)を完全否定し、毛嫌いする傾向があります。また、シルク(多神崇拝)は多神教だけに限りません。例えばエゴイズムという自分自身に対する崇拝は、自分の定めた規則以外に従うことを拒否します。このような人は 「自我」を 「イラー」とした人と言えます。
あなたは自分の思惑を神として(思い込む)者を見たのか。あなたはかれらの守護者になるつもりなのか。
(識別章第25章43節)
一方、他の人間の自我も 「イラー」になり得ます。例えばフィルアウンは自分自身を「イラー」であるとした権力者でした。彼は全ての人々が自分に服従することを望み、人々にその欲望を強制しました。クルアーンにはこうあります。
フィルアウンは言った。「長老たちよ。わたし以外に、あなたがたに神がある筈がない。そしてハーマーンよ、泥(を焼いた煉瓦)で わたしのために高殿を築け。そしてムーサーの神の許に登って行こう。わたしには、どうもかれは虚言の徒であると思われる。」
(物語章第28章38節)
フィルアウンの例は、現代の社会にも当てはまりますよね?権力者や指導者などに服従する人も大勢います。ですが、これも「イラ―」とイスラームでは見なされます。また、人間の自我や欲望のほかに、ある特定の物質には特別な力が宿り奇跡を起こすと信じたり、特定の日時に厳かな儀式を行ったりする事も、「イラ―」と見なされます。なぜなら、偽りの「イラー」から加護と救いが与えられると考えているからです。
かれらは、アッラーの外に邪神を選び何とか助けられようとする。それら(邪神たち)は 、かれらを助ける力はなく、むしろかれらの方が邪神を守るため軍備を整えている始末。
(ヤー ・スィーン章第36章74-75節)
「アッラーの他にイラーはない」と証言したムスリムは、これら偽りのイラーから完全に自由であり、至高至大なるアッラーだけに帰依服従するのです。
アッラーが全ての存在の創造主
それでは、「アッラー(神)」とは一体何なのでしょうか?コーラン(クルアーン)からアッラーについて見て行きます。アッラーは被造物を存在させ、天国と地獄を創造しました。
そしてわれ(アッラーのこと)はジン(精霊的存在)と人間を、われを崇拝させるべくして創造したのだ。
(撒き散らすもの章第51章56節)
創造主であられるアッラーを、アダムから最後の預言者ムハンマドに至るまでの全ての預言者と使徒たちが人々に伝えて来ました。
あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。
(預言者章第21章25節)
この証言の最初の部分「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはないと証言する)」は、次のような意味を含みます。「アッラーが全ての存在の創造主であること」です。
かれこそがアッラー、あなた方の主である。かれ以外に崇拝すべきものはない。かれは全ての創造主であるのだ。ゆえにかれを崇拝せよ。かれは全てにおいて(そのしもべから)委任されるべきお方なのである。
(家畜章第6章102節)
本当にあなたがたの主はアッラーであられる。かれは6日で天と地を創り、それから玉座に座しておられる。かれは昼の上に夜を覆わせ、夜に昼を慌ただしく相継がしめなされ、また太陽、月、群星を、命に服させられる。ああ、かれこそは創造し統御される御方ではないか。万有の主アッラーに祝福あれ。
(高壁章第7章54節)
創造主であられるアッラーを崇拝すること、それが、イスラム教徒たちにとって一番重要となります。多神教や他のものを「イラ―」(崇拝・服従される対象)としている人達に対しては、こうも述べています。
見なさい。天地の凡てのものは、本当にアッラーの有である。アッラーを差し置いて、神々に祈っている者たちは何に従うのか。かれらは妄想に従っているだけ。自分勝手に過ぎない。
(ユーヌス章第10章66節)
そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。いずれ彼らは自分たちが行っていたところのもので報いを受けるだろうから。
(高壁章第7章180節)
『 ムハンマド・ラスールッラー』の意味
ムスリムが証言する二つ目のカリマは、『ムハンマド・ラスールッラー』です。これは、ムハンマドがアッラーの使徒であり、ムハンマド自体が神にはなり得ないと意味しています。また、彼が最良かつ最後の使徒であり、彼以後には預言者も使徒も出現しないことを信じることも含まれます。
ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。
(部族連合章第33章40節)
預言者ムハンマドが生きていた時代にクライシュ族という民族がいましたが、彼らは先祖の教えであるアーダムとイブラーヒームの教えからアッラーの存在を知っていました。そして、日常の中でもアッラーという言葉はよく使われていたいのです。
しかし、アッラーの存在を信じる以上に、預言者の存在を信じる事の方が難しいのではないでしょうか?たとえアッラーの存在を認めたとしても、アッラーによって遣わされた使徒たちの存在も同時に認めるのでなければ、アッラーを正しく信仰したことにはなりません。
アッラーの使徒ムハンマドについて
アッラーは、アッラーの唯一性を証言する為に、ムハンマドという人間をその模範として遣わされました。そして、アッラーの使徒がサハーバ(教友たち)と共に築いた社会は、完成されたイスラーム社会のモデルとなっています。
われ(アッラーのこと)が使徒を遣わしたのは、唯アッラーの御許しの許に服従、帰依させるためである。
(婦人章第4章64節)
本当にアッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。
(部族連合章第33章21節)
使徒に従う者は、まさにアッラーに従う者である。
(婦人章第4章80節)
アッラーの使徒であるムハンマドも、一人の人間です。ここが、キリスト教徒は決定的に違います。イエス・キリストは神の子とされていますが、イスラームではイエスも使徒の内の一人です。また、ムハンマドも神の啓示をみんなに伝えるだけです。
そして彼は私欲から(物事を)話しているわけでもない。それは下された啓示以外の何ものでもない。
(星章第53章3-4節)
また、ムハンマドがこのように言ったとされる伝承も残されています。
「私は一人の人間に過ぎないが、あなた方は私に争いの調停を求める。そしてあなた方の内のある者は、他の者よりも論証において雄弁であり、それゆえに私は私が耳にした通りに(その者の都合のよい形で)裁いてしまうかもしれない。それで私がそのような者に対し、その同胞の何らかの権利を(不当に)得るような判決でもって裁いてしまったとしても、それを手にするのではない。というのも(そのような場合)私は、その者に地獄の炎の一片を差し出しているに他ならないからである。」
(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
「ムハンマドはアッラーの使徒である」ことを信じ、預言者ムハンマドによって伝えられた啓示の真実性を認め、
そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。
(サバア章第34章28節)
全ての命令に服従し、禁じられたことを避け、
使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。
(集合章第59章7節)
使徒の行なった方法によってのみイバーダ(信仰行為)を行ないます。使徒に対してムスリムは、彼を愛し、尊敬し、擁護し、彼を愛する者を愛し、彼のスンナ(慣行)を実践し、
言え、「あなた方がアッラーのことを愛しているのなら、私(ムハンマド)に従うのだ。そうすればアッラーはあなた方を愛して下さり、あなた方の罪をお赦し下さるであろう。」アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。
(イムラーン家章第3章31節)
彼のために多くの祝福を祈り、そして彼のメッセージを守り、伝えていく義務があります。
2つのカリマを証言するための条件
シャハーダ(信仰告白)に含まれる2つのカリマについて、今までは詳しく見て来ました。ここからは、この2つのカリマを証明する為に、基本となる条件を説明します。この条件が理解出来て、受け止められるのであれば、イスラム教徒になるう事も何ら問題がありません。
正しい知識を理解すること
たとえ預言者や使徒、天使たちを崇拝しても、もっとも崇拝されべく存在はアッラー(神)だけです。イスラム教徒になった後のサラート(お祈り)やあらゆる種類の崇拝行為は、全てアッラーのみに向けなければなりません。もしシャハーダをしてイスラム教徒になったとしても、崇拝行為がアッラー以外の何かに向けているならば、それは一種の不信仰となります。
2つのカリマを確信すること
つまり、この二つの証言の意味を心から確信することです。確信の反対は疑いですが、この信仰において疑いやためらいなどがあってはいけません。
信仰者というものはアッラーとその使徒を信仰し、その後(その信仰に)疑念を抱くことなく、財と生命をかけてアッラーの道に奮闘する者たちのことである。彼らこそは真に信仰する者たちである。
(部屋章第49章15節)
証言を完全に受容すること
証言の内容は完全に受け入れ、それを拒む気持ちがあったりするべきではありません。イスラム教徒となるには、証言の意味を理解して確信をもって信仰するだけでは十分ではありません。厳密にはそれを発声して受容し、ムスリムとなることを受け入れる必要があります。
彼らは実に「アッラーの他に真に崇拝すべき何ものもなし」と言われれば、奢り高ぶったものだったのだ。
(整列者章第37章35節)
アッラーへ服従すること
証言の内容が要求することに従い、それに沿って行動することです。発声して受容し、イスラム教徒となることを受け入れるだけでは十分ではありません。さらに、それに従った行動をする必要があります。そしてアッラーが命じることを行い、かれが禁じることを回避しなければなりません。
誰でも善行に励み、真心を尽くしてアッラーに傾倒する者は堅固な取っ手を握り締めた者。そして全ての物事の結末は、アッラーへと還り行く。
(ルクマーン章第31章22節)
証言に真摯であること
証言を口にするにあたって、真摯でなければなりません。上記の全ての条件を満たしていたとしても、心の内に不信仰を潜めていたとしたら、ちょうど偽善者のような状態になってしまいます。
彼ら(アッラーの使徒の命に背いて出征しなかった者たち)はその舌で、心にもないことを語っている。
(勝利章第48章11節)
崇拝に対して誠実であること
つまり全ての崇拝行為を、アッラーのみに誠実に捧げることです。死人に向かって何らかの願いを叶えてもらおうと祈ったりするなど、崇拝行為をアッラー以外の何かに向けていたら純粋なアッラーの崇拝を行っていることにはなりません。
そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカー(浄財)を施すことしか命じられてはいなかったのだ。
(明証章第98章5節)
アッラーとその使徒を愛すること
シャハーダをした人達は、アッラーとその使徒、そしてその正しいしもべたちを愛し、彼らに敵対する者には敵対する必要があります。また、例えそれが自分の私欲と一致しないことであっても、アッラーとその使徒への愛情を何よりも優先することが求められます。
言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親やあなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラーとその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にとって愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行されるまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられないのだ。」
(悔悟章第9章24節)
またこの証言は、アッラーのみが法を定める権限を持っている事を認める事にもなります。これは、崇拝行為に関することであろうと、個人あるいは社会間における人間関係に関することであろうと、そこに違いはありません。何かを合法としたり非合法としたりする権威は、アッラーにのみ属します。またその使徒は、いかなるアッラーの命令も隠蔽したりすることがありません。
使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。
(集合章第59章7節)
参照 : 『イスラーム アキーダとイバーダ』 / 『イスラームのメッセージ』(アブドゥッラフマーン・アッ=シーハ著)
いかがでしたでしょうか?シャハーダの証言自体は短いですが、その2つのカリマにここまでの意味が含まれているのです。ちなみに、私ひもくみは勢いでイスラム教徒になったので、この2つのカリマも浅い知識の状態でシャハーダをしました。イスラム教徒になった事は後悔していませんが、もっと調べておけば良かったとは思います。
当時は、イスラームに関する情報はネットでは少ししかありませんでした。なので、気軽にイスラームについて知れるきっかけになればと思い、この記事を作りました。今後、イスラム教徒になる事で悩んでいる方の参考になれば嬉しいです。それでは、アッサラームアライクム!
イスラム教とは?イスラームを知るための完全ガイドブック
ムスリム(イスラム教徒)やイスラームに興味のある方向けのまとめページです。イスラームの教えやムスリムファッション、イスラム教徒の特徴など興味のある人は、ぜひ読んでみて下さい!
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