イスラム教の開祖!預言者ムハンマドが送る11の生涯とは?

預言者ムハンマドはイスラム教の開祖!その人物の生涯とは?

預言者ムハンマドについて。皆さん、詳しく彼の人生を知っていますか?イスラームを創った、超重要人物ですよね!因みに、ムハンマドは英語読みにすると、「マホメット」と呼ばれるらしいです。

そもそも、ムハンマドってどんな顔してるの?と思っている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ムハンマドの画像はない、はずなのです。映画でも、ムハンマドを表現しない為に、ムハンマド目線で彼の生涯を撮影した映画などもあります。

顔も分からない人物。

そんな彼が、神であるアッラーからのお言葉を皆に伝えたお方。そんな彼の人生を、ちゃんと知っておきたいと思いませんか?預言者ムハンマドとは、一体どんな人物だったのでしょうか?それでは、見て行きましょう!

ムハンマドの誕生(幼年期~青年期まで)

預言者ムハンマドは、アラビア半島のマッカで生まれました。それは、とても遠い昔です。そう、西暦570年(←ホントに、いつの時代なんだ)8月20日月曜日の早朝の事でした。

クルアーンには、このことについて次のように述べられています。

言ってやるがいい。 「真理は下り、偽りは何らそのあと創造することもなく、 また再び繰り返すこともない。」

(クルアーン第34章49節)

この言葉はムハンマド自身の生涯についてもあてはまり、ムハンマドが誕生したその日こそ、全人類への導きの始まった日なのです。

ムハンマドは、有名な名門ハーシム家の血筋を引いているお方でした。マッカのクライシュ族の一支族であった、ハーシム家。後々、このハーシム家出身という事は、彼にとって重要となってきます。

それは、さておき!

ムハンマドの父親アブドゥッラーは、なんと彼が生まれる6カ月前に亡くなります。そして、彼の母親アーミナも彼が6歳の時にこの世を去ってしまいます。母親の死後、ムハンマドは祖父アブドゥル・ムッタリブに引き取らるのです。

しかし、この祖父も母の死後わずか2年後に亡くなります。幼い頃から、「死」を何度も見てきた彼、ムハンマド。最終的に、叔父のアブー・ターリブに養育される事になりました。

こうしてムハンマドは、幼い内に両親も祖父も失います。そして、兄弟もいませんでした。なので、天涯孤独の身の上となったのです。その代わりに彼は、全生涯を通じてアッラーの愛を受け続けました。

アッラーは全人類の中から彼をお選びになったのです。大切な人達を最初のうちに失った、マホメット。彼であったからこそ、「愛」の重さが人一倍分かる人間だったかもしれないですね。

地上に正義と慈悲をもたらすアッラーの使徒。それが、後に預言者ムハンマドとなるのです。

ムハンマドは叔父のアブー・ターリブを手伝い、商人として青年期を過ごしました。当時のマッカの住民は、ラクダ隊商で各地に商品を運んでいました。そして、その交易で暮らしていたのです。ムハンマドもこういった隊商について行き、シリア方面へ2度、交易の旅に出かけました。

彼は何事においても「正直」な人間でありました。時には卑しいとされていた、羊の放牧のような仕事もしました。彼は預言者となってからも自分の衣服や鞄は自分で繕いでいました。

ムハンマドが、そんな事までやっていたとは・・・・・。と、思わせるエピソードですね。ムハンマドのこの、正直な働き方。これは、正しい労働の尊さを身をもって人々に示した証明とも言えます。

ムハンマドの青年時代。彼は、当時のアラビア社会に苛立っていました。なぜなら、人々はいつも酒や賭け事に多くの時間を費やしていたからです。そういった社会が、彼にとっては腐敗した社会に映ったのです。多くの家系や部族が、自分たちの利害のみを考えている利己的な社会。なので、些細なことで争いを繰り返していました。

また強者が弱者を踏みにじり、それを正す事も出来ません。弱い者たち、特に女性たちの権利はなく、父親も自分に娘が生まれることを恥じるという風習があり、自分の娘を生き埋めにするというような事まで行われていました。

預言者イブラーヒームが唯一神を崇拝するために建てたカアバには、360体もの偶像がありました。そして、めいめいが勝手に自分の神に、祈っていたのです。ムハンマドは、このような社会の状況にひどく心を痛めました。

何故かって?

キリスト教やユダヤ教ですら影響が薄い当時の社会。そんな中で、信仰心が薄い人達が大勢いました。そして、彼らの心はとても荒んでいたのです。何とか、この状況を改善できないか?そう思うようになったのです。

ムハンマドの誠実な人柄により結婚

アッラーによって預言者として選ばれる以前のムハンマド。彼の誠実な人柄から、マッカの人々に

「アル・アミーン(誠実者)」

というあだ名で呼ばれていました。私の友達でも、何人かAminがいますが、このムハンマドのあだ名から生まれたのですね。彼について、次のような伝承があります。

ある時、マッカのカアバの角についていた黒石がはずれました。カアバを管理していたクライシュ族。彼らは、どの家の者が黒石を元通りはめ込み名誉を得るか。そんな事で、あわやけんかになりそうでした。そこで彼らは、決めたのです。最初に入って来た者に、この問題を仲裁してもらおう、と。

彼らが入り口を見つめていると、そこに入ってきたのはムハンマドでした。彼らは大変喜び、ムハンマドに問題を話しました。するとムハンマドは、自分の肩にかけてあった敷布を地面に広げます。そして中央に黒石を置き、その布の四隅を持ち上げます。ムハンマドを先頭にして、厳かに元あった位置まで黒石を運びました。そこで部族の者たちが、敷布を地面に下ろすと、ムハンマドは黒石を取り上げ、元の場所にはめ込みました。これで部族の者たちはみな満足して帰りました。

普通は、この黒石をはめ込み名誉を得る人を選ぶので、権力争いになりかねないお話です。ですがムハンマドがその先頭に立って名誉を得ても取るに足る人間だと信頼されていたからこそ、皆も文句を言わずに満足したのです。そこで、皆が納得できるほどまでにムハンマドは皆から誠実で正直な人間と思われていたんですね。

ラクダの隊商の責任者としてムハンマドを雇っていた多くの商人たちの間に、ハディージャという名の女性がいました。ハディージャは2度夫を失っています。そして、息子2人と娘1人がいました。ですが、彼女はその当時、夫から相続した事業を経営して成功していました。

彼女はムハンマドと比べてはるかに金持ちでした。その上に、年は40歳に達しており、一方ムハンマドは25歳の若さでした。ムハンマドは貧しい上に無学。だったので、ハディージャのようなお金持ちの女性とは、普通縁がない話ですよね。ですが、ハディージャは商売を通じて、ムハンマドに惹かれていくのです。

正直で、責任感が強い。そんなムハンマドの人格にうたれ、自ら彼に結婚を申し込みました。ムハンマドとハディージャは、それから25年間。ハディージャがこの世を去るまで、円満で幸福な結婚生活を送りました。2人の間には、3人の息子と4人の娘が出来ました。息子たちは全て若くして亡くなりましたが、娘たちは長生きしました。

ムハンマドはハディージャが亡くなるまで、他の女性とは結婚しませんでした。ハディージャが亡くなったのはムハンマドが啓示を受けてから10年目の事です。彼女は、夫ムハンマドの最も苦しい時代に彼を助けました。ムハンマドは彼女の愛と献身を決して忘れる事はなく、

「最も祝福されるべき女性」

と呼んで、彼女の死後も生涯その愛情を心にとめていました。ハディージャの死後、ムハンマドは数人の女性と結婚しました。ですが、そのうちアーイシャ以外は全て未亡人か離婚歴のある女性でした。預言部族との親睦のため政略的に。また、ある時は古い因習を破るといった目的で結婚をしました。死んだ教友の未亡人の生活を支えるという目的もありました。

しかしその結婚がどんな目的であれ、ムハンマドは全ての妻に愛情と公正をもって接しました。こうしてムハンマドは、女を動物に毛のはえたものくらいにしか思っていなかった当時の人々に、すべての女性を尊敬することを身をもって教えました。ムハンマドは人々に対し

「天国は、母の足下にある」

と告げたのです。

「預言者」としてのムハンマド誕生

ムハンマドは、マッカ近郊のヒラ―洞穴という所に時々こもるようになりました。そして、そこでムハンマドは人間、宇宙、創造者、そして人間と創造者との関係について、それらの根本的な問題を考えるようになりました。当時流行っていた多神教の考えに、ムハンマドは疑問を思っていたんですね。

一体真理は何か?

真実の神とはどんなものか?

そう考えながら、瞑想を続けました。そんなヒジュラ歴ラマダーン月のある夜。当時40歳のムハンマドが、ヒラ―の洞窟でいつものように瞑想していた時。彼は突然、

「読め!」

という力強い声を耳にしました。ムハンマドが驚いて、「読めません」と答えると、再びその声は

「読め!」

と繰り返しました。

「私は読めないのです!」

ムハンマドが震えながら答えたのにも関わらず、その声は再び

「読め!」

と言います。とうとうムハンマドが

「何を読めばよいのですか」

と尋ねると、相手はムハンマドを優しく抱きしめてこう言いました。

読め、「創造されるお方、おまえの主の御名において。一凝血から人間を創られた。」

読め、「おまえの主は最高に尊く、(人間に)筆によって(書く事を)教えられた御方。人間に未知の物事を教えられた御方である。」

(クルアーン第96章1-5節)

これは、大天使ジブリエール(ガブリエル)によって伝えられたクルアーン最初の啓示でした。ムハンマドは恐れおののき、家へ走って帰りました。そして、妻のハディージャに

「私をくるんでくれ!」

と叫び、毛布に包まって震えていました。妻ハディージャはこの出来事を聞くと、彼を優しくいたわりながら、

「あなたはこれまで真直ぐに生きてきた正直な人ですから、神様がきっと守って下さるはずです。何も心配する事はありません。」

と言って慰めました。その後しばらくして、ムハンマドが自分の身の上に起きたことの意味を理解し、預言者としての自覚を持つようになると、ハディージャはアッラーに帰依した最初の人となりました。この最初の啓示があってから、アッラーは大天使ジブリエールを通してムハンマドに啓示をお与えになります。預言者ムハンマドがアッラーの教えを広め、人々に正しい道を伝えるために。アッラーの使徒として選ばれたことを、告げられたのです。

一介の無学なアラブ人だったムハンマド。この時から、全人類へのメッセンジャーとして、神の唯一性、アッラーへの帰依、偶像崇拝の愚かさ、最後の審判の日の到来、そして、その審判の日には現世での行為が、アッラーの前で裁かれることなど。そういった事を、人々に説き始めました。

その当時の宗教は単なる信心だけで、人間や社会の堕落を正すこともできませんでした。しかし、ムハンマドは行動を伴わない信心は、無意味であることを人々に強く説きました。クルアーンは、神の唯一性について次のように宣言しています。

言ってやるがいい、「彼はアッラー、唯一の御方であられる。 アッラーは自存され、 生まないし、生まれたのではない。 彼に比べ得る何ものもない。

(クルアーン第112章1~4節)

アッラーのメッセージは、きわめて明瞭で簡単なものでした。しかしマッカの偶像崇拝者たちは、自分たちの宗教に対する危険な挑戦と感じられました。彼らはこれまでの生き方を変える事を望まなかったのです。また偶像を捨ててしまっては、自分たちの力も失われると心配しました。ここから、ムスリムへの迫害開始です。

妨害を受けながらのイスラーム布教活動

ムハンマドは、まず友人と家族からイスラームの布教を始めました。宗教も、ビジネスと同じなんですね。まずは、自分の身内からというのは(笑)

このような布教は3年間続きました。この時期にイスラームに入信した者はわずか30人にもなりませんでしたが、後のイスラーム発展のためにきわめて重要な役割を担った人々がいます。例えば、妻のハディージャ。いとこのアリー。養子のザイド。預言者ムハンマドの親友アブー・バクル。そしてウスマーン、タルハールなどです。

布教開始から3年後。アッラーはイスラームの布教を公開して行なうようにムハンマドに啓示されました。ムハンマドは、マッカ近郊のサファーの丘に行きます。そこで神の唯一性、すなわち神はアッラーのみであることを人々の前で宣言しました。最後の審判についても、強い警告を与えたのです。彼は人々にアッラーへの帰依を勧めました。そして、アッラーの教えに従って行動し、正しい道を歩むように説いたのです。

しかし、この事はマッカの人々を激怒させることになりました。なぜなら、このような教えは偶像への貢ぎ物などの権益と、一部の金持ちの特権を奪うものだったからです。そこで彼らはムハンマドに布教を中止するように脅迫しました。

しかし彼らの脅迫に対する返事として、ムハンマドは数日後にカアバへ赴き、

「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である。」

と高らかに宣言しました。これはアラビア語で

「ラーイラーハ イッラッラーフ、ムハンマド ラスールッラー」

と言い、イスラームの最も重要な部分です。多神教徒たちは預言者ムハンマドへの脅迫が失敗すると、ムハンマドを買収しようと考えました。金、名誉、女、そして王位さえも彼に与える事を申し出たのです。

しかし、これに対するムハンマドの回答はこうでした。

「たとえ私が右手に太陽を、左手に月をのせられても、このアッラーに与えられた使命の遂行をやめることはない。」

ムハンマドの決意が固いのを知った多神教徒たち。彼らは、ムハンマドと信者たちをさらに迫害し始めました。マッカ市民の言う、ムハンマドと信者たちの「罪」。それは、ただアッラーのみを信じ、悪を止め、善を行ない、公正と親切を実行する事だけだったのです。

当時のアラブは部族社会です。家族が、自分の身内を保護することを保障していました。誰かが害を与えられた時には、その「家族」がそれに復讐するという掟があったのです。ムハンマドは、良い家柄でした。なんと、マッカの名門ハーシム家の出身だったのです。と言っても、現代の私たちにはピンと来ない家柄かもしれませんが(笑)

反イスラームの者たちも、彼を殺すことはためらっていました。その代わり、保護者のいない弱者や奴隷のムスリムたちは容赦なく迫害されたのです。熱砂の砂漠で縛り付けられたり。重い岩を胸に乗せられたり。燃える炭の上を引き回されたり。そういった拷問を受けました。ムハンマド自身も汚物を投げつけられたり、通り道にとげのある障害物を置かれたりするのは日常茶飯事でした。

ある時ムハンマドはマッカ近くの町、ターイフに行って布教していました。そんな中、群衆から石を投げられ、全身血まみれの重傷を負ったのです。このようなひどい目に会いながら、彼は

「アッラーよ、彼らに正しい道を示してください。彼らには分からないのです。」

と言い続けました。5年の間迫害は続きましたが、信者は少しずつ増えていきました。ついには、ムハンマドの叔父でマッカの有力者ハムザ。イスラム最大の敵の一人であったウマルなどが入信し、イスラームは拡大していきました。

加速するイスラーム排斥運動と高まる希望の光

マッカの多神教徒たちはムスリムたちに様々な迫害を行いました。しかし、それでもイスラムは少しずつ広がっていきました。そこで彼らはついに、ムハンマド自身に対して行動を起こそうと決めたのです。ハーシム家に対して、ムハンマドを引き渡すよう求めました。

しかしハーシム家の人々は、イスラームに改宗していない者も含めてムハンマドの引き渡しを拒否しました。なので、多神教徒たちはハーシム家を村八分にする決議をします。ハーシム家の人々は、マッカ近郷の谷で3年間。付き合いも商売もすべて断たれた、苦しい生活を送らなければなりませんでした。

時として食べるものもなく。着る物も、みすぼらしいままの生活・・・・。陰で支援してくれるマッカの親戚の差し入れなどで、ようやく食いつないでいました。村八分は3年間で終わりました。

しかし、その直後、ムハンマドの保護者だった叔父アブー・ターリブと、妻のハディージャが亡くなったのです。ムハンマドは社会的にも精神的にも大きな打撃を受けました。多神教徒たちは、これに乗じていっそう迫害を強めていったのでした。

その当時マッカには、各地の多神教徒たちが自分の神を崇拝するために巡礼に来ていました。そして、そういった巡礼者たちの中にマディーナの市民がいました。彼らは、部族内部の抗争で疲れ果てていました。誰か自分たちを仲裁し、治めてくれるような優れた人物がいれば・・・・・。

そう考え、そんな人物が現れれば、迎え入れようと考えていました。そんな時、マディーナ市民はムハンマドのイスラーム布教の事を耳にしたのです。彼らは巡礼の時にマッカへやって来て、秘密裏にイスラームに入信しました。そして、ムハンマドにマディーナへやって来て自分たちを統治してくれるよう頼みました。

ムハンマドは彼らの忠誠の誓いと引き換えに、優れた教友をマディーナへ送ります。そして、イスラームを広めさせたのです。受け入れの用意が整い、ムスリム(イスラム教徒)たちは少しづつマッカを去り、マディーナへ移住していきました。

イスラーム暦元年(マディーナへの脱出と移住)

マッカの多神教徒たちが、ついにムハンマドを暗殺して決着をつけようと決意しました。それは、ムハンマドが預言者に選ばれてから13年目のことです。マッカの多神教徒達は、未だにハーシム家の復讐を恐れてはいました。なので、暗殺者はそれぞれの家系から一人づつ選ばれたのです。

なぜなら、理由は2つあります。一つは、ムハンマドを殺害した後でも、一つの家だけがその責任を取らなくてもよいようにしたから。もう一つは、ハーシム家だけでは全ての家と戦えないと思ったからです。それだけ、当時の「家」という存在は大きかったのですね。

しかしアッラーは、暗殺者たちの計画をムハンマドに啓示されたのです。これこそまさに、神は全知全能であられる証拠ですね。彼はついに、マッカ脱出の時が来た事を悟りました。預言者ムハンマドは、自分のいとこのアリーに自分の代わりにベッドに寝ているように頼みました。また、自分が人から預かったものを返すよう指示。そして、暗殺者たちがムハンマドを殺しに来る時が近付いてきました。暗殺者たちがムハンマドの家を包囲して中に入ると、そこにはアリーしかいませんでした。ムハンマドの作戦大成功です。

ムハンマドに逃げられたのを知り、暗殺者たちは激怒しました。そして、追っ手を差し向けたのです。ムハンマドと彼の親友アブー・バクルは、マディーナとは反対方向の山岳地帯へひとまず行きました。そして、洞窟の中に隠れました。追っ手の目をくらませるためです。

しかし、追っ手は2人の足跡を正確にたどってやって来ました。追っ手が2人の隠れている洞窟のすぐ側まで来た時。親友のアブー・バクルは取り乱しましたが、預言者ムハンマドはアッラーに不動の信頼を置いており、

「心配するな、アッラーは私たちと共におられる」

と言ってアブー・バクルを励ましました。すると、その言葉通りの事が起こります。洞窟の入り口に、蜘蛛と鳩がやって来ました。蜘蛛は巣を張り、鳩は卵を産んだので、

「この洞窟に間違いない!」

とやって来た追っ手も、その真新しい蜘蛛の巣と卵を抱いた鳩を見て考えを変えたのです。そして、洞窟を調べずに去って行きました。

ムハンマドを取り逃がしたマッカの多神教徒たちは、ムハンマドの首に懸賞金を賭けました。当時としては、法外な額でした。なんと、ラクダ100頭を賭けました(現代の私達では凄さがいまいち分かりませんね)。

しかし、誰一人ムハンマドを捕らえる事が出来なかったのです。こうして2人は、無事マディーナへ着きました。クルアーンには、このマッカ脱出について次のように述べられています。

彼ら(不信者)は策謀したが、 アッラーも策謀された。 だが最も優れた策謀者はアッラーであられる。

(クルアーン第3章54節)

このマッカからマディーナへの脱出。イスラムにとっては、大きな転機となりました。なぜなら、これによりイスラームの布教と発展の基礎が固まったからです。そこでイスラームでは、この移住の年をイスラーム暦の元年としています。イスラムでは、暦の始まりは偉人の生死ではなかったのです。人の意義ある行為に基づいているのです。

マディーナでイスラーム共同体を形成

ムハンマドと彼の親友アブー・バクルは、マディーナに着くや否や、多くの人々の歓迎を受けました。マディーナの人々は皆、預言者ムハンマドが自分の家に来て住んでくれる事を望んだくらいです。凄い歓迎ぶりですね!そこで、ムハンマドは公正さの為に、ある事をしました。それは、自分のラクダの手綱を離して自由に歩かせ、ラクダが止まった場所に住む。そういう、大胆な行動に出ました。

ラクダは、マディーナ市内を歩き回ります。そして、ついに二人の孤児が所有している空き地に止まって草を食べ始めました。そこでムハンマドはその場所に住むことを決めたのです。二人の兄弟から土地を買い取ると、そこに自分の住居を兼ねたイスラーム最初のマスジドを建てました。以来、イスラームのマスジドというのは単なる礼拝堂ではなくなりました。他にも、旅行者の宿泊所やイスラームの様々な問題を討議する集会の場所となったのです。

マディーナへの到着後、最初に必要となったもの。それは、マッカからの移民の生活問題でした。これらの移民たちは、財産のほとんどをマッカに置き去りにして来ました。なので、マディーナで生活を始めるには多くの援助が必要だったのです。預言者ムハンマドは、なんとこの問題を解決しました。

どうやって?

それは、今のイスラムの考え方にも通じるやり方。マッカからの移住者たちとマディーナの信者たちを、お互いに兄弟としたのです。ムハンマドを含むマッカのムスリムは、「イスラームの為」に家族の絆も家も全て捨てて移住して来ました。なので、マディーナのムスリムたちは喜んで自分達の家や財産を分け与えました。

血縁や部族が全て。他の町の人間は、もはや外国人のような感覚だった当時のアラブ人たち。そんな時代にですよ?この信仰による同胞意識というものは、本当に画期的だったんです。

こうして2つのグループは打ち解け合いました。イスラームによる新しい共同体を築いていったのです。ムハンマドとその教友たちは、ようやく多神教徒たちの迫害から逃れました。そして、身の安全と信仰と布教の自由を得たのです。マッカの多神教徒たちはなおもイスラームを滅ぼそうと狙っていました。

しかし、他の部族が支配する離れたマディーナの町を簡単に滅ぼす事は出来ませんでした。

マディーナで預言者ムハンマドの活動は新しい段階に入ります。単なる個人的な信仰から、イスラームの理念に基づいた社会を作り上げる大きな事業に発展していきました。

ムハンマドがマッカで受けた啓示は、終末や来世、アッラーの偉大さなど信仰に関するものがほとんどでした。私たちは、その啓示をコーランの最後ら辺の章で確認する事が出来ますね。一方、マディーナでの啓示は、飲食物から結婚と家族生活、道徳と作法、取引と約束、戦争と和平、犯罪と罰などを含む人間の生活に関するあらゆる事について。より詳しく、神であられるアッラーから啓示されました。

これらの戒律や教義はムハンマドと教友たちによって実践されました。そして、全人類が実践できる宗教の生きた手本として。現代に至るまで、私たちに記録が残されています。イスラームは単なる信心でも儀式でもありません。イスラームとは個人として。また共同体として。どのように生き、どのように物事を収めるか。そういう人間の生活の道であり、人生の全ての事柄に対する導きなのです。

マディーナにおいてムスリムの共同体は団結し、強力な組織を作り上げていきました。それでもまだ彼らは、多くの脅威を受けていました。マッカの多神教徒たちは、イスラムを抹殺しようと機会を伺っていました。

また、マディーナ市内にもマッカの多神教徒たちに内通してイスラムの社会を滅ぼそうとする反イスラームの勢力がありました。彼らの中には、表面上はイスラームに改宗しているものの、心の中は全く別の事をもくろんでいる偽信者たちもいました。

これらは、ムハンマドにとって頭の痛い問題でした。このようにマディーナへ移住した後にも、初期にはイスラームの共同体は常に防衛を固めていたのです。マッカの多神教徒たちを用心するために。

イスラームの戦争(バドルの戦いとウフドの戦い)

ついにムハンマドがマディーナに移住した翌年。完全武装のマッカ軍100人が、マディーナに向かって進軍してきました。それに対して貧弱な装備しか持たない約300人のイスラーム軍。お互いに、バドルという場所で遭遇しました。マッカ軍は数も武装も、また策略においても上手でした。

しかし、イスラーム軍はアッラーの加護を受けてマッカ軍に勝利しました。ここでも、アッラーの力を借りるムハンマド。どのようなご加護があって勝てたのか。個人的には、凄く気になりますが。

とりあえず!

これは、イスラム最初の記念すべき戦いでした。これを「バドルの戦い」と呼びます。この勝利によって、ムスリム(イスラム教徒)たちは精神的にも自信をつけたのです。そして、信仰も高まり、多神教徒の勢力を退けたのです。

しかしその翌年、マッカの多神教徒たちは再びマディーナへ軍隊を送りました。イスラームを、滅ぼす為に。しつこいですね。この時、イスラム軍は敗北しました。

しかし、かろうじてマッカ軍を追い返す事が出来ました。これを「ウフドの戦い」と呼びます。その後もマッカの多神教徒たちは、何度もマディーナを攻撃します。時には、ムスリム(イスラム教徒)は空腹の為に、石を腹の上にくくりつけて我慢した時もありました。それ程までに、最後までムスリム達はマディーナを守り抜きたかったのです。

フダイビーヤの和平条約とマッカ開城

ヒジャラ暦7年。アッラーの啓示を受け、預言者ムハンマドはマッカのカアバへ巡礼する為に信者達と共に出発しました。彼らは完全に非武装で戦争の意志はありませんでした。それも当然ですよね。ただ、巡礼する為にマッカに行ったのですから。

しかし、マッカの住民は非常にムハンマド一行を恐れました。そして、彼らを武力で迎え撃とうとしました。交渉役のウスマーンがいつまでも戻らなかった為、彼が殺されたという噂が広まりました。その時、ムスリム(イスラム教徒)たちは死を覚悟の決戦とする決意を固めたのです。ですが、マッカからの交渉役がやって来て、和平の会談が始まりました。

  1. 巡礼は今年ではなく来年にすること
  2. 10年間の停戦
  3. マディーナから離反してマッカへ逃げて来た者は戻る必要はないが、 マッカからマディーナへの逃亡者はマッカ側に引き渡さねばならない。

このように、その内容は明らかに不平等な条約でした。信者たちは大いに不満でした。ですが、ムハンマドだけはこの条件を全て呑んだのです。

ついに、和平が成立しました。結果として、この決断は正しいものでした。和平条約を結んだ事によって、ムスリムはもはや自由に布教活動をする事が出来ました。そして、それが着実にイスラームの勢力を広げる事になったからです。

フダイビーヤの和平条約の翌年。マッカ側がイスラームの同盟部族を攻撃し、和平条約を破りました。ここまでくると、当時のマッカ軍は本当に卑劣だったと分かりますね。

ムハンマドは既にイスラームの傘下に入った多くの部族を集め、マッカに向けて進軍しました。その強大な勢力に、マッカの市民はもはや抵抗は不可能だと悟る程の数でした。そして、マッカ市民は戦わずして降伏したのです。ムハンマドはかつて自分を追った故郷の町に、支配者として無血入城したのです。

彼はカアバに入り、全ての偶像を破壊しました。ムハンマドと信者たちを長い間迫害し続けた者たち。彼らは、自分たちにどのような処置が下されるかと恐れおののいていました。ムハンマドはその人々に向かって言いました。

「今、私がお前たちをどうしようと考えていると思うかね。」

人々は不安そうに答えました。

「高貴であられ、高貴な方の息子であられるムハンマド様、全ては貴方のお望みのままに。」

ムハンマドは言いました。

「今日はあなた達に何の咎めもない。あなたたちは自由だ。みな自分の家に帰りなさい。」

この慈悲深さに感激した多くの人々が、イスラムに入りました。こうして続く2年の間に、多くの人々がイスラームに入ったのです。また、入信しなかった人々もそれぞれの信仰と生命、財産、尊厳を保障されました。この事についてクルアーンにはこう述べられています。

宗教に強制があってはならない。 まさに正しい道は誤った道よりも明らかに分けられている。それで邪悪な神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない丈夫な取っ手*を握った者である。 アッラーは全聴者、全知者であられる。

(クルアーン第2章256節)

*「取っ手」は、危険にさいし安全のために握る綱やハンドルのようなものです。 すなわち我々の信仰と意志がそれで、アッラーに固く信じすがっていれば、アッラーの保護が下る事は間違いないのです。

預言者ムハンマドの最後の巡礼と死

預言者ムハンマドは、ヒジュラ暦10年に最後の巡礼を行ないました。彼が布教を始めてから、24年目のこと。この時ムハンマドと共に巡礼に参加した者は、11万4千人にも及びました。

この巡礼で、彼が行なった「別れの説教」。これは、これまでの教えの集大成だと言えるでしょう。彼は神の唯一性、イスラームの尊厳、審判の日、女性の尊厳、他人の生命と財産の尊厳などの重要性を語った後、こう言いました。

「イスラームの信者は、すべて互いに兄弟である。あなたたちは皆一つの共同体として結ばれている。私はあなたたちと共にある。あなたたちがクルアーンとアッラーの使徒の行いに従えば、決して道を誤ることはないだろう」

この巡礼中、彼は次のような啓示を受けました。

今日、われはおまえたちのために、おまえたちの宗教を完成し、お前たちに対するわれの恩恵を全うし、おまえたちのための教えとしてイスラームを選んだのである。

(クルアーン第5章3節)

これは新約ヨハネ福音書16・・・・・12-13に、イーサー(イエス・キリスト)は言っています。

「あなたがたに言うべき事がまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに耐えられない。 けれども真理のみ霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、 来るべき事をあなたがたに知らせるであろう」

との予言が記されています。これが、預言者ムハンマドによって完成されたのです。

ムハンマドが、とうとうこの世を去る日が近づいていました。イスラームをこの地上に打ち立てる為に、送られた預言者ムハンマド。彼はその使命を終え、アッラー(神)のもとに帰らなければなりません。

巡礼の数か月後、彼は重い病いに倒れました。次第に病状は悪化し、礼拝を率いるためにマスジドに行く事も出来ないような状態になりました。ヒジュラ暦4月12日の朝、ささやくような祈りの言葉を最後に、ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)の魂は出発してしまいました。

まことにわたしたちはアッラーのもの、 かれのもとに帰るのだ。

(クルアーン第2章156節)

信者たちは深い悲しみに包まれました。特に預言者の側近の一人であったウマルは、悲しみのあまり預言者の死を信じようとしませんでした。彼は取り乱して抜き身の剣を手に、

「ムハンマドが死んだなどと言うやつは、この俺が首をはねてやる!」

と叫びました。しかし、その時ムハンマドの一番の親友アブー・バクルはこう言いました。

「もしあなたたちがムハンマドを崇拝していたのならば、ムハンマドはもはや亡き人だと知れ。しかしもしあなたたちがアッラーを崇拝するのであれば、ムハンマドの死直後の危機をくぐり抜けたのです。」

預言者ムハンマドの性格や人柄について

預言者ムハンマドについて、クルアーンではこのように説かれています。

ムハンマドはおまえたちの誰の父親でもない。 しかしアッラーの使徒であり、また預言者たちの封印である。 本当にアッラーは全知であられる。

(クルアーン第33章40節)

本当にアッラーと天使たちは預言者を祝福する。 信仰する者たちよ、おまえたちは彼を祝福し、 敬意を払って挨拶しなさい。

(クルアーン第33章56節)

上は、キリスト教のイエスとの対比として書かれている感じがしますね。そして、下のコーランの一説は、よくイスラームで言われているような事です。

つまり、預言者ムハンマドを神であるアッラーと同等に並べてはいけないが、敬わなければならない。それが、アッラーからのメッセージでもあり、預言者ムハンマドの偉大さの証拠でもあります。

預言者ムハンマドは、

「信者のうち信仰が最も成熟している者とは、最も高い徳を持つ者のことである」

「あなた方のうち私が最も愛する者、そして審判の日に私に最も近い者とは、徳が最も高い者である」

と述べています。また、徳を自ら示して皆の模範となり、

「私は徳を完成させる為に遣わされた」

とも述べています。

預言者ムハンマドのについてクルアーンには、

『本当にあなたは、崇高な徳性を備えている』

(第68章第4節)

と言及されています。この崇高な徳によって、預言者ムハンマドは全ての人々の模範になっています。クルアーンには、

『本当にアッラーの使徒は、アッラーと週末の日を熱望する者、 アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった』

(第33章第21節)

と記されています。

預言者として神であるアッラーからの言葉を語るムハンマドは、話し上手に見えるかもしれませんね。ですが、実際は人の話は決して中断する事なく、終わりまできちんと聞く人でした。

また、必要のない議論は好まず、必要以上に長々と話す事もありませんでした。そして、ここが意外なところかもしれません。預言者ムハンマドは、自分と関係のない事には関わらず、人のプライバシーを詮索する事もありませんでした。

また、アッラーと社会に対する反逆以外、たとえ自分に対してどのような行為がなされようとも許したのです。なので、復讐するような事は考えませんでした。

預言者ムハンマドは他の人々も皆、自分のように誠実で正しくあるように望みました。そして常に、

「正しさから離れてはいけない。正しさは善と益をもたらす。善は人を天国へ導く。悪は人を地獄へと導く。人は嘘をつき続けていくうちに、アッラーの御前において嘘をつく人と記録される」

と語っていました。どの預言者や世界の救済者も同じだと思うのですが、彼らはまず人として誠実であり良い人達なんですよね。そして、どの言葉にも重みがある。


預言者ムハンマドだけに限らず、イエス・キリストや仏陀、マザー・テレサ、ガンジー等のような偉大な方々の名言は自然と心に残っているはず。あなたがイスラム教徒であるなしに関わらず、人として誠実で良い人で私達もありたいと思いますよね。そんな内の一人である、ムハンマド。彼の残した業績は、今もなお語り継がれ実践されている今日なのです。

参考出典 : http://islamjp.com/library/p_muhammad.htm / 参考著書『イスラーム 正しい理解のために

コメントを投稿

0 コメント