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ハラル・ハラムとは?イスラムのハラールとハラームを解説

最近注目されているハラールとは?

最近注目されている「ハラール」。ハラールと聞いて、お酒が飲めない。とか。

ハラール肉しか食べれない。とかとか。

そんな禁止のイメージを、お持ちじゃありませんか?そもそも、ハラールとハラームの概念の違いを分かっていますか?イスラム教徒ではない人にとっては、そもそもそんな違い分からないですよね(笑)

ここでは、そもそもハラールとハラームとは何ぞ?という意見にお答えする場です!ここで、ハラールについてより詳しい知識を得てください。私の知っている方でも、

「ビジネスの為にハラールレストランを開きたいけれど、ハラールってどこで買えるの? 」

という、トンチンカンな質問をして来た人もいます。

「え、この質問のどこがおかしいの?」

と感じた人は、ぜひこの記事を読んでくださいね!

ハラールとは?

ハラールとは、宗教上禁じられず許容されているものを意味します。アッラーとその使徒がハラールと定義され、あるいはそれが罪ではないと示された事を言います。また、ある行動もしくは物事について、禁止されているという明らかな証拠がない場合も、それはハラールとなります。

なぜなら、物事の本質はハラールであるからです。

つまり、宗教上明らかに禁止され、あるいは法に触れるものでない限り、それはハラールであり合法なのです。現代では、「ハラル認証」というものがあり、ハラール協会の認証を受けた肉などが、イスラム教徒の人たちが食べれるお肉となるのです。

おそらく、この認証を得る事で、ビジネスチャンスに繋がると思う人が増えてきているのでしょう。なので、ムスリム(イスラム教徒)相手は、ハラールじゃないとダメ。そんな、認識だけが一人歩きした結果、とんちんかんな質問へと繋がったのだと思います。

既に「ハラール」や「ハラル」と表記していますが、この言葉もアラビア語を無理やり日本語訳しているので、どちらの呼び方でも間違えではありません。イスラムの教科書みたいな本では、「ハラール」と書いてある事が多いように感じましたが。しかし、Google上では「ハラル」が多いみたいですね。

ハラームとは?

ハラームとは宗教用語としては、禁止すべき絶対的な根拠を持ち、かつ明白にアッラーとその使徒が確かに禁じたものを指します。ハラームほど絶対的ではない根拠で禁じられている場合、それはマクルーフ(好ましくないもの、避けるべきもの)と呼ばれています。

崇高なるアッラーは、不潔でなく、人の健康にとって有益であるものをハラール。不潔で有害なものを、ハラームとされました。ハラームを定める事が出来るのはアッラーのみです。

クルアーンでは、

言ってやるがいい。

「アッラーがしもべたちに与えられた、かれからの(賜物)や、食料として(与えられた清潔なものを、誰が禁じたのか。」

言ってやるがいい。

「これらのものは、現世の信仰する者たちの為のものであり、特に審判の日には完全に信者の専有するものとなる。」

われはこのように印を、理解ある人々に解明する。

(第7章第32節)

と仰せられています。なので、ここで簡単にまとめてみると、

  • ハラール = 勧められていること
  • ハラーム = 禁止されていること

となりますね。

お酒や賭博

イスラームでは、酒類や麻薬などを禁じています。至高のアッラーはこう仰いました。

信仰する者たちよ、酒と賭け事、偶像と占い矢は、忌み嫌われる悪魔の行いである。

ゆえにそれらを避けるのだ。*

恐らくあなた方は成功するであろう。

悪魔は酒と賭け事をもって、あなた方の間に敵意や憎悪をもたらし、あなたがたがアッラーを念じ礼拝を捧げるのを妨げようとすることである。

それでもあなたがたは慎しまないのか。

(第5章第90-91節)

*本節が下された後、酒が禁じられた事をマディーナの町々にふれ回る者があった。その時ムスリムの家では、貯えていた酒をみな捨てたので、町には酒の流れが出来たと伝えられる。史上どこの国の禁止令に際しこんな例があろうか。

かれらは酒と,賭矢に就いてあなたに問うであろう。言ってやるがいい。「それらは大きな罪であるが,人間のために(多少の)益もある。だがその罪は,益よりも大である。」

(イムラーン家章第3章92節)

このような有害なものを売りさばいたり、その普及に肩入れするような者たちを阻止するべく、預言者ムハンマドはこう言っています。

「アッラーは酒とそれを注ぐ者、そしてそれを飲む者と醸造(じょうぞう)する者及び醸造させる者、またそれを売買する者とその値段から益を売る者を呪われた。」

(アブー・ダーウードの伝承)

またイスラームは、精神やその他の感覚を、それらを害するようないかなる物事からも保護しています。そして人間が良識を失うという、自堕落な状態に陥る事を阻むのです。アルコールや麻薬の摂取が、中毒症状をもたらす事はよく知られています。そして、中毒者達はその欲望を満たす為にあらゆる手段を講じて金銭を得ようとします。時には盗みや殺人さえも辞さない場合すらあるのです。

他人の尊厳や貞節さを侵害する残虐な犯罪の多くが、これらの物質ゆえに引き起こされているというのも、また事実ですよね。イスラームはアルコールや麻薬が全ての大罪の「根源」になり得る、と言及しています。そうなるリスクを避ける為に、神であるアッラーは

「避けよ。」

と述べているのです。

ハラール肉や豚肉

イスラム方式で殺されなかった動物の肉や、豚肉など、その他次のアッラーのお言葉に言及されているような物質の摂取を禁じています。

あなた方に禁じられたものは、(イスラーム法に則って殺されなかった)死体、(流れる)血液、豚肉、アッラー以外の名を唱えて殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、角で突き殺されたもの、野獣が食い残したもの、(ただしこの種のものでも)あなたがたがその止めを刺したものは別である。

また石壇にいけにえとされたもの*、籤(くじ)で分配されたものである。

(第5章第3節)

*これらは当時マッカで行われていた偶像神の石壇で多神教徒が行っていたいけにえの慣習である。

イスラムにおいて、アッラーの御名が言及されずに殺された動物の肉を食することは禁じられています。至高のアッラーはこう仰いました。

アッラーの御名が唱えられなかったものを食べてはならない。

それは実に不義な行いである。

(第6章第121節)

イスラムでは、ちゃんと動物の殺し方の手順というのがあって、それに従って殺します。その手順は、動物が最も苦しまずに死ねるように配慮されているのだとか。そして、その殺した後に、アッラーの御名が唱えられます。要は、お祈りの言葉ですね。

イスラムによる羊や牛の殺し方などを見たい方は、Youtubeで調べれば色々と出てきますよ。ここJapaNEOでも載せようと思ったのですが、意外にえぐくて・・・・・。なので、興味のある方は、検索してみて下さいね!

ここで取り扱ったハラールとハラームに関する知識は、超基本的な事です。なので、ハラールとか聞くと、

「あ、イスラム的にOKなんだな。」

という認識を持って頂ければと思います。このハラールの定義は、基本的にはこうです。そして、一日本人としてこの定義を見た時に

「あれ、日本ってハラームばっかじゃん。」

ってなりました(笑)

お酒はもちろん、占いやパチンコ、競馬、お肉ももちろんハラールじゃないですよね。そんな日本で、イスラムの定義するハラール生活を実践するのは難しいんじゃないか?と考える人達は多いと思います。そんな日本社会で、どこまでハラールを実践出来るのか。

ハラールの例外

アッラーがハラールとされたものをハラームと言ったり。ハラームとされたものをハラールと言う事は、イスラームへの敵対を意味します。

預言者ムハンマドは、

「ハラームは明白であり、ハラールも明白である。この両者の間にはハラームかハラールか疑わしいものがある。疑わしいものを避ける人は教えを守った事になる」

と述べています。

しかし、どうしようもなく必要に迫られた場合には、ハラームがハラールとなる事もあります。

かれがあなたがたに、(食べる事を)禁じられるものは、死肉*、血、豚肉、およびアッラー以外(の名)で供えられたものである。

だが故意に違反せず、また法を越えず必要に迫られた場合は罪にはならない。

アッラーは寛容にして慈悲深い方であられる

(第2章第173節)

*死肉(マイタ)は、自然死した動物の肉を言い、イスラームの方式によらず殺されたものをも含む。また豚は不潔な動物で、他の獣よりも疫病を伝染する危険が大であり、人間の身心に悪影響を及ぼすもので禁じられる。

ハラールだけではなく、イスラムではあまり無理やり強制するような事はありません。クルアーンでも、最後によく

「アッラーは寛容にして慈悲深い方であられる」

と書かれており、実際に神であるアッラーは許してくれる事が多いように思います。それじゃ、イスラムで説かれている事は守らなくて良いのか?と言うと、そうでもありません。

ただ、無理して過度にイスラームの教えを守る必要がなく、そういった事は預言者ムハンマド自身のエピソードの中でも説かれています。

ある3人の教友が、預言者ムハンマドの宗教熱心さに感心しました。そして、 一人は生涯を通して夜も眠らずにサラート(礼拝)をし、他の一人は生涯サウム(断食)を続け、三人 目は一生結婚しないと心に決めていました。この事を聞いた預言者ムハンマドは、

「アッラーに誓って言うが、アッラーを最も畏 れる者、禁じられた事から最も遠ざかっている者は私である。そんな私でも時にサウムをし、時にはしない。夜にはサラートをする事もあれば、眠る事もある。 それに私は結婚している。これらが私のスンナ(預言者の言行)である。スンナを気に入らない者は、私の仲間ではない」

と言ったのです。この言葉からも、預言者ムハンマドの優しさを感じますよね。3人の過度な宗教への熱心さに、自分の行いは完璧ではないから無理をするな。そう悟らせているあたり、やはり預言者ムハンマドは寛大で優しいお方だったんだなと伺えます。

日本の場合

このハラールの例外は、日本社会においては非常に微妙なラインですよね。豚肉やお酒は、個人の意思で避ける事が出来ます。ただ、非常に微妙なラインだと思っているのがハラール肉。

特に、私なんかは親と同居していて、母親が食事を作ってくれています。その食事を以前、

「ハラールで」

と言った時に、母親が発狂に近いほど激怒した事を覚えています。豚肉抜きの料理やお弁当を、私の為に作ってくれている事が、もはや奇跡に近いと感じています。そして、親に感謝しています。

私のムスリム友達でも、親がイスラムに反対で、わざと食卓に豚肉を持って来る親もいると聞いた事があるので。私の家族も、私が外で食事をする際は、よく豚肉料理を食べているのも知っています。この状況からでも、日本でイスラームにおけるハラール生活を営むというのは、少し無理があるように感じます。親から自立して、一人暮らしをしている方ならまだ分かりますけどね。

また、ハラール肉も普通にスーパーに売っている状況なら分かります。しかし、購入手段は一部のスーパーかネット、モスクやイスラム文化センター等の限られた場所です。ハラール肉を食べる事が、普段の日常の中で苦にならない、またはストレスにならない方はむしろ守るべきでしょう。

クルアーンにも、アッラー以外の名を唱えて殺されたものは禁じられています。(第5章第3節)ですので、イスラムに馴染みがない日本においても、可能であればハラール生活が良しとされます。

ハラームの解釈

アッラーを何ものかと同等と見なす事は、イスラムの教えに対する冒涜になります。そして、ハラームの最たるものであり、最大の罪です。人が悔悟しない限り、アッラーはこの罪を許されません。

上でも述べたように、アッラー以外の名前で殺されたものは禁じられています。なぜなら、イスラムではアッラーだけが真実なのです。

これは、当時多神教徒達がイスラム教徒達を排斥していた背景にも要因があると思っています。多神教では、様々な神がいますが、イスラムでは唯一神だけですもんね。なので、「アッラー以外」という表記は個人的に背景も考えた上での納得です。

クルアーンでは、

信仰する者よ、あなたがたの財産を、不正にあなたがたの間で浪費してはならない。*

だがお互いの善意による、商売上の場合は別である。

またあなたがた自身を、殺し(たり害し)てはならない。

誠にアッラーはあなたがたに慈悲深くあらわれる

(第4章第29節)

*自分の名義の財産でも、公共のものでも。また配下(の奴隷)の財産でも、それを浪費することは罪悪であり破滅である。これは、他人の尊厳や生命を尊重しなければならない重大事ともつながる。利子や高利貸し、他人の財産を横領する事は禁じられています。

クルアーンでは、

  • ハラール ・・・・・ 売買や賃借
  • ハラーム ・・・・・・・・・・・ 利子

であると明示されています。他のハラームとしては、

  • 占いをする事やさせる事
  • アルコール分を含んだ飲み物を口にする事
  • 賭博によって稼ぐこと
  • くじや競馬など運を当てにした娯楽

です。これだけ見ると、日本ではどれも一部盛んに行われている事ですよね(笑)

日本では無宗教が多いです。その為、こういったイスラムのハラームとされている事柄に依存してしまうのではないか。と、私は考えています。

よく日本人の友だちに、

「お酒が飲めないなんて、しんどいね。」

と言われた事があるのですが、その感覚もイスラムになった後はありません。神であるアッラーを信じる事こそが、自分自身の幸せ。そう思えてくるのです。

他のものに依存しなくても、お祈りや断食などによって幸せを得る。そう、自然と思えてくるのですね。お酒やタバコは、自分自身の身体を害します。

しかし、一時期の断食は健康に良いとも実は言われているんですよ。よく、イスラムのお祈りの中で

أعوذ بالله من الشيطان الرجيم
I seek Allah’s protection/refuge/shelter from Shaitaan, the Accursed one.

(出典 : https://trueword.wordpress.com/2007/12/07/istaadha )

訳してみると、こういう意味です。

「私は呪われた悪魔から(身を守る為に)アッラーの保護/避難/避難所を求めます。」

これを、お祈りの最初に言います。イスラムでは、悪魔のささやきによって、人間はハラームな行為をしてしまうと考えているのです。その悪魔のささやきとなるのが、ハラームを行おうとする自らの欲望なんですね。他のハラームとしては、

  • 礼拝・断食・巡礼・喜捨といった義務を放棄すること
  • 両親への反抗
  • 窃盗
  • 嘘をつくこと
  • 偽りの証言をすること
  • 中傷
  • 暴虐行為
  • 信託への裏切り
  • 贈収賄
  • 秤を偽ること
  • 無駄遣い
  • 陰口
  • 孤児の財産を横領する事

などもハラームです。両親への反抗も、ハラームだとすれば。もし最初にイスラム教徒になられた方がいれば、まずは両親と衝突せず少しずつイスラームのハラール生活に合わせて行く。そういった形の方が、イスラムとして自然な形なような気もします。

ハラールによる利益

ムハンマドもハラームにあたる財産を持っている人のドゥアー(祈り)やイバダートは承認されない事を明らかにしています。髪を振り乱し、埃や泥にまみれ、手を天に差し上げて

「アッラーよ!」

と祈りながらも、実はハラームであるものを飲み食いし、ハラームの衣装を身に着け、ハラームによって糧を得ている人の祈りがどうして承認されよう、と預言者ムハンマドは語っています。クルアーンでは、

人々よ、地上にあるものの中良い合法なものを食べて、悪魔の歩みに従ってはならない

(第2章第168節)

信仰する者よ、われがあなたがたに与えた良いものを食べなさい。そしてアッラーに感謝しなさい。もしあなたがたが本当に、かれに仕えるのであるならば

(第2章第172節)

と命じています。

預言者ムハンマドも、

「無駄遣いをする事なく、うぬぼれず飲み物や食べ物を口にし衣服をまといなさい。そして貧しき者を助けなさい」

と述べています。

ここまで見て来たハラールとハラーム。ムスリム(イスラム教徒)の人たちが、形式だけでお祈りや儀式をしているだけじゃないと分かったのではないでしょうか?一つ言えるのは、イスラームで説かれている事は、全てより良い人間になる為の事ばかりです。

なので、形式だけに囚われてしまい、肝心な人間としてのあり方が疎かになっている場合。それはそれで、イスラム教徒としてどうなのだろう?と思ってしまう事もあります。

私が見るイスラムは、本当に社会性をとても大切にしている宗教だと感じています。それは、仏教、キリスト教なども一緒ですけどね。社会の中で、より良い人間になる為のガイダンス。それが、コーランにより書かれており、私達イスラム教徒は学ぶのです。

参考著書 :『イスラーム 正しい理解のために』/『イスラームのメッセージ』(アブドゥッラフマーン・アッ=シーハ著)

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