AC(アダルトチルドレン)による親のトラウマ克服方法





あなたは、家族の中で自分の居場所を感じていますか?

寂しさを感じてはいないですか?

ちゃんと、家族を愛せてますか?






「私、どうしてもダメ男ばかり好きになるのよねぇ~。」

    と言っている方達に多いと思うのですが、そういうダメな恋愛を繰り返す(私も含め)人達には、共通性があったりします。

    それは、家族の中で居場所を感じられないのです。

    何で、そんな悲しい思いをするんでしょうね。

    その答えを見つけるヒントとして、このテーマについて触れてみたいと思います。


     まずは、このビデオを見て下さい。

    このビデオに、少しでも共感の出来る人は読み進めてみましょう。     あなたの苦しさの手助けになる事を願って・・・・・。

アダルト・チルドレンとは?

 Adult Children Of Alcoholics=ACOA     「アルコール依存症の親のもとで育って成人した人」      これが、アダルト・チルドレンの語源です。      ACOAのOAをとり、略して「AC」と言っています。      日本では、アルコール依存症ではないけれど、ギャンブル依存症、仕事依存症など同じような癖を持っている親の下で育った人も含めて、機能不全家族で育った人をアダルト・チルドレンと呼ぶようになっています。ACの対象が広がったのです。      アルコール依存症本人ではなく、そのような親の下で育つ子供への注目は、アルコール依存症の治療の発展と共に生まれました。     自分の生育家庭とは違った家庭を作ろうとするひたむきな努力の過程で、アダルト・チルドレンは見るからに良くない行ないを排除し、健全そのものの外観を作り上げます。     無条件の愛情や率直な感情表現といった必須要素に欠ける為、彼らの子どもたちは人生に対する下準備が不足し、したがって成人後の生活で同じ否定的なパターンを繰り返すことになるのです。      アダルト・チルドレンの特質が良い子育ての障害物となり、もうひとつの共依存の世代――次世代AC――を育てていきます。

父の飲酒

飲んでいる父親は、心的外傷を及ぼすとしか言いようのないような数々の行動を起こします。 30代や40代の大人がまるで3歳か4歳になってしまったような暴力、暴言、失禁や嘔吐といったさまざまな行動です。 妻を支配し、子供が傷付くようなこれらの行動が日常なのです。 しかし日常的と言っても、規則通りではなく、それは不規則的に起こり、いつ起こるか分からないのです。 とても怖くて、傷付く事が今日起こるか、一か月後に起こるか、今日起きてまた明日も起こるか全く分からない、この不規則性が、大変なストレスを与えるのです。 心理学に「学習された無力状態」という言葉があります。 ネズミに電流をアトランダム(でたらめ)に与えると、そのうち、そのネズミは逃げもしないで動かなくなります。 これをバタード・ワイフ(殴られた妻)に当てはめる論調もあります。 殴られた妻はなぜ逃げないのかは、このように、いつ起きるか分からないということの持つ残酷さにあるのです。 人はこのように全く予測不能の恐怖にさらされると一歩も動けなくなってしまうのです。 その父親の暴言・暴力は、妻だけでなく、時には子供に向かい、また家の中を壊すというもので、まさにバイオレンス(暴力)としか言いようのないものです。 このバイオレンスが税金まで課せられ、テレビでコマーシャルを垂れ流して推奨される”いいもの”としての酒によって起こるのです。 このようなことを私たちは酒のCMを見ながら、もっと考えなくてはいけないのではないでしょうか?

母の共依存

いつも不幸で苦しんでいる人、それが自分の母なのです。 「あんなひどい男と別れたら」と思いっきり頼んでも、 「お前が20歳になるまでは別れない」と母は言います。 そして自分が20歳を過ぎると、「もう私も年だし今さら・・・」と別れません。 その父が52歳でアルコール性肝障害で死亡しました。 「ああ、これであの母も幸福になれる・・・・」と思っても、何のことはありません。 母は、いつになっても自分の苦労の種は尽きず、不幸なままのです。 母はいつになっても幸せになる事がないのです。 そして母の期待に沿う事で、母を支えてきたのですが、そのゴールはありません。 そこまで支えても、これでいいという地点はないのです。 このような、母の脅威はACの人達にとって、いつまでも苦しめられる果てのない苦悩です。 むしろ父の暴力・暴言の方が、分かり易い分だけ、他人にも分かってもらえ、整理がつき易く、忘れることもできるのです。 このように意外にもACの人達が苦しんでいるのは父よりも母との関係が多いのです。

父母との関係を目撃

 アルコール依存症の家族の子どもたちは、このような両親を毎日見ています。
父が母を殴るのを見ると、子供達は無力感におそわれます。
 それは自分には「どうしようもない」という無力感を伴う苦しみであり、母を救えなかったという罪悪感を伴う苦しみなのです。
児童虐待の一項目に「両親間の暴力を目撃する」ことを加えた方がいいという意見もあるほどです。

共依存の社会、日本

 どうやら、共依存は女性だけの問題ではないようです。
日本の企業を見てみますと、男同士もそういうことをやっているのです。
いわゆる日本の支配というのはすべて共依存的支配であり、その中でアルコール依存症の人達だけが家でボカスカ殴ったりして、例外的に分かり易い暴力的な支配をしているのだという事です。
 例えば、会社でリストラや肩たたきをしたり、子会社出向を命じる時、決してはっきりとは言いません。やんわりと、「あなたのためだ」と言います。
こちらにもあちらにも行けないようにふさいでおいて、「これがあなたのためですよ」と言われたら、その道に行かざるを得ません。
 そういうふうに、相手から憎まれないようにして、巧妙に相手を自分の思った方向に持っていくという支配は、実は女性だけのものではなく、日本の社会全般にも言えることです。

正論じゃないんだよ。

 共依存的な支配というのは、原理的に言うと、自分というものを持たないで、他者の世話をする、他者の面倒を見る、他者を正しく導くということに、自分の存在を見出していく人達の事です。
ですから、常にその背後にあるのは「正論」という言葉です。
「どうせ、おまえが全部正しいよ」
と言われている人はいませんか?
口を開くと正しい事しか言わないで、子供に対しても立派なお母さんをやり、正しいか正しくないかという軸で家族が動く、ということは、ある意味で裁判所にいるようで絶えず裁かれている感じを抱くのです。
 この裁かれているという苦しみというものは、ACの人達や摂食障害の人達にとても多く見ることができます。
 その人達がなぜ正論にしがみつくのか?
それ以外の軸を知らないからです。
それ以外の軸とは何かと言うと、幸せか不幸せか、気持ちが良いか悪いか、呼吸が楽か苦しいか、という軸です。
そういう軸をどこか軽視しているところがあります。
幸せか不幸せかということを知らないと、正しいか間違っているかという軸にしがみつくことになります。

エヴァもAC?!

子どもが歩んだ人生の成果を子どもに返さないで、それがすべて親に返っていくという、この搾取の構造の中で、子どもは自分でやったという実感もなく、自分で人生を生きている実感もありません。
 『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメには碇シンジという男の子が登場し、この子はお父さんが書いたドラマを忠実に演じるのです。
苦しみながらやりますが、しかし、彼がエヴァンゲリオンに乗ることはもう決まっていて、それ以外の道は許されません。
おそらく、なぜ若者があれだけ『エヴァンゲリオン』に熱狂するかというと、同じだという感覚があるからだと思います。
 つまり、僕たち・私たちの人生のドラマを描き、監督をしているのは親じゃないかという碇シンジと共通の感覚があるのかもしれません。
これがエヴァンゲリオンエヴァンゲリオンブームの一つの底流になっていたように思います。

どうやってACと気付くの?

性格ではなく親との関係

生きづらさというものは、従来であれば自分の性格か、ものの考え方のためであるといった理由に落ち着いていました。
 もしくは社会体制や政治などによるものであり、社会が変わればいいと、社会変革の必要性と結びつけられたりもしていました。
しかし、生きづらさを自分と社会という二極のいずれでもなく、「親との関係」に起因することを認めるのです。
 けれども、このように親へのマイナス感情を容認することは決してたやすくありません。
それは日本に根強い「親孝行」の価値を揺るがすものであり、また「親の愛」「母性愛」が現実には何であったのかという神話の解体でもあるからです。
親を悪く言う事はわが国ではまだまだタブーなのです。
 このような親子にまつわるタブーを越えてまで、自己の生きづらさのルーツをたどろうとする勇気を持つ人がACなのです。

親との関係に起因する

「私が生きづらいのは親の愛情が足りなかったのが原因だ」と考えれば、原因としての親を責め、攻撃し、親が謝ればいいことになってしまいます。
それは単純な因果論です。
しかし、因果論に基づく犯人捜し、攻撃からは何も生まれません。
これは第一のポイントの「親との関係」と関連してきます。
 親が果たして実際にどうであったかという客観性を問題にするのではなく、あくまでも自分との関係における親がポイントなのです。
「私にとって親との関係が苦しかった」という心的事実が問題なのです。
親との関係を生きづらさの多くの要因のうちの主要な要因と認める事なのです。
 これを原因とはとらないでください。
親が原因とすると、結果である今の苦しみをなくすためには、原因である親を変える必要が出てきます。
あくまでも起因と考えて下さい。

自己認知・自己申告を基本とする

自分のアイデンティティは、他人に決めてもらうのではなく、自分で決めると言う、当たり前のことを基本にしています。
「ACという言葉に出会って自分の中にあった謎が解け、ジグソーパズルのピースが収まった感覚を持ち、楽になった」
と感じる人達は、自分にとって必要なアイデンティティとしてACと自己認知をしたのです。
治療者が与えるものではなく、チェックポイントで自己診断するような症状群もありません。
「私はACよ」
と感じたら、そうなのです。
自分で気付いて、自分がそう思えば、立派なACなのです。

私は、変われる?

アダルト・チルドレンというコンセプトは、従来の心理学や精神医学のコンセプトと比較してどのような特徴があるのでしょうか?

ACは肯定の言葉

自分が苦しいのであれば、その苦しさを認めます。 このように「心的事実」、主観から出発するのです。 自分の感じた事、主観を肯定するのです。 ACは自分が生きづらいと感じた主観を肯定し、ACと自己認知して楽になったことを肯定するのです。 自分の悪いところを探し否定するような従来の心理学用語とはひと味違います。 私たちは身体の病気に対して検査方法が進歩するに従って、自分の感覚についても権威や客観的方法に頼り過ぎてはいないでしょうか。 このように、自己申告したことは肯定されなければなりません。 ACは肯定言語なのです。

ACは免責の言葉

ACと自覚した人達は機能不全の家族の中で、問題も起こさず、病気にもならないで生き延びたのです。 そのサバイバルの過程で身につけた感じ方、認知の方法、対人間関系は、原家族を離れてから、逆に周囲との違和感や不一致につながってしまうのです。 自分の生きづらさは自分の責任ではない事、親との関係を生き延びる為に身につけたものが、自分を苦しくしている事をACは示しているのです。 だから、「あなたに責任はない」のです。 これこそが、多くの人達がACという言葉に出会って楽になったという理由なのです。 このようにACという言葉には、「あなたに責任はない」というやさしさが込められているのです。

変わるという希望がある

生きづらさが、持って生まれた性格ではなく、生まれ育った家族の中で、生き延びる為に学習されたものによるならば、それは、学習し直せば変わる事ができるはずです。 対人関係や、さまざまな感じ方、認知の仕方などは原家族で育つ中で知らず知らず身につけてきたのです。 そのことに気付き、自分のパターンの特徴を知ることでそれを変えることもできるでしょう。 逆に気付かなければそれを変えることはできません。 特に対人関係については、心理劇(サイコドラマ)などの方法で、再学習は十分に可能です。 これ
 今まで、「出たら、また飲む」という事を繰り返していたアルコール依存症の人達が大きく変化した方法があります。
それは、本人たちが今日一日アルコールを飲まないことだけを目的に集まって自分の事を語ります。
それだけです。
これを毎日積み重ねていくだけで、断酒が維持継続されていくのです(゜-゜)
 つまり、これは「人間関係障害」としてのアルコール依存症という認知なのです。
アルコール依存症を、ただただ依存している部分だけを捉えるのではなく、精神的な問題として見るのです。 
 回復という経験は、順序も時間のかけ方も人によって違います。
けれど、ほとんどの場合、長期にわたるプロセスとして以下のような指針が欠かせません。

アイメッセージ

 全く会話のない夫婦が多い今日。
どうしてかというと、どうせこの人と話しても、こうなると先が分かってしまうから話す気になれないとか、一回か二回話してみたが、全然聞いてくれなかったから、次から、話しても無駄と思ってあきらめてしまうというものです。
 会話を取り戻すためには、夫は会社の延長ではなく、家族と同じベースに入ってくることです。
また、妻も夫を責める気持ちを持っていると会話はできません。
責めることより、アイメッセージで、私の意見はこうであると、「私」を主語にして、話すことです。
 アイメッセージとは「私は~思う」「私は~感じる」という話し方です。
アイとは愛ではなく、「I(私)」です。
 この表現の特徴は「表現できたことで100点」「相手がそれに対してどう反応するかは期待しない」の2点です。
「私はいつもさみしいの。もう少し私の話を聞いて欲しい」と夫に言えたら、それだけで自分に100点をあげるのです。
「俺だって疲れているんだ!」とたとえ夫が答えたとしても、自分が表現できただけでもよしとするのです。
相手に自分の思い通りの反応を期待するから、傷付いたり失望したりするのです。
 このような表現は夫にしても、妻が自分を責めずに、気持ちだけを伝えてくるなあという感じを起こさせます。
これを日々重ねていけば、会話が成り立たなくなった夫婦も、少しづつ、会話が復活してくるでしょう。
 そのためには、アイメッセージの基本である「I(私)の気持ちがどうなのか」という自分への関心を向けている事が大切です。
 このような会話をグループカウンセリングなどで交わし、いつの間にか身につけると、家族の中でもそのような話し方ができるようになります。
そうするとドミノ倒しのように夫婦、親子の会話が少しずつ復活して家族の雰囲気まで変わってくるのです。
つまり、アイメッセージの基本は「相手を変えようとしない」ことにあるのです。
自分の言葉にイエスと言わせようとするとその言葉は支配、コントロールの言葉になるのです。
「相手を変えようとしない」つまりコントロールしない表現が、アイメッセージなのです。
このことが相手にも分かると、不思議なもので相手も自分をコントロールしなくなります。
つまり、共依存の関係から抜け出る第一歩はアイメッセージなのです。
 自分の人生を捨てた人は、そのエネルギーの分だけ、必ず他人の人生に侵入して支配を始めるのです。

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