海外から日本に帰国し、住民票の転入手続きに訪れた日。
それは、単なる「住所変更」では終わらなかった。
手続きのため訪れた市の支所では、日本のパスポートとEチケットの提示を求められました。
しかし現在、日本人が入国時にスタンプを押されることはありません。顔認証ゲートでの自動通過が主流です。
また、航空券もEチケットが主流で、アプリやQRコードで管理されている時代に「コピーを家から持参してほしい」と求められたのです。
前年まで同じ市で行った手続きでは、パスポート提示のみで済んでいました。
しかし今回はまるで、「海外から来た他者」として扱われたような印象を受けました。
この支所には、過去にも不信感を抱かされた経験があります。
約9年前、コロンビア人の配偶者との国際結婚手続きを行った際、正規の書類を提出しても受理されず、「40年前の書類と形式が違う」と拒否されたのです。
そのとき、担当者に「なぜそこまで執拗に拒むのか」と尋ねると返ってきたのは――
「他の部署から指摘されたら困るので」。
結局、何度も通い、やっとのことで謝罪を受けたものの、職員の責任回避姿勢と不安の押し付けに、信頼は崩れ去りました。
そして今回、その同じ職員が担当ではないにもかかわらず、新人の職員に「コピーを求めるよう」指導していたと聞き、事実上の再演となりました。
今回、帰国を決断した背景には、アメリカでの深刻な健康トラブルがありました。
救急搬送と入院、そして精神的なストレスからの立ち直りを図るため、日本への移住を選択しました。
それでも、制度や紙文化の古さ、そして“前例”に縛られる職員対応によって、自身の存在が否定されるような感覚を何度も味わいました。
全ての職員が冷たいわけではありませんでした。
マイナンバーや健康保険、年金の手続きを担当してくれた職員の方々は非常に丁寧で、現実的な助言をくれました。
中でも、年金課の担当者は制度の変化や課題を正直に語ってくれ、心が救われました。
また、後に別の職員から「Eチケットのコピーは義務ではなかった」との説明を受け、当初の対応が“指導”ではなく“個人判断”だったことも明らかになりました。
私の夫は、コロンビア出身の量子物理学の研究者です。
アメリカの大学で博士課程に在籍しており、学術的にも将来有望な人材です。
日本での就職も視野に入れている彼が、もしこのような対応を受けると想像すると、胸が苦しくなります。
国籍や肌の色、文化の違いで“壁”を感じさせる社会のままで、果たして高度人材を本当に受け入れられるのでしょうか?
アメリカでは移民に対する規制が年々厳しくなり、卒業後の就労ビザも抽選制度で非常に狭き門となっています。
そうした現実から、今後は日本を選ぶ外国人研究者も増えるかもしれません。
だからこそ、今、日本側の“受け入れの質”が問われているのです。
JapaNEOでは、異文化の間にある見えない壁を、見える言葉に置き換え、丁寧に翻訳する存在でありたいと思っています。
行政、企業、そして外国人のあいだに立つコーディネーターとして、ただ翻訳するのではなく、“意識と感情を通わせる”ことを目指しています。
この体験は苦しく、理不尽で、疲弊するものでした。
でも、だからこそわかりました――こうした声が、まだ日本には必要なのだと。
制度や前例の“型”に人を当てはめる社会ではなく、
人の事情に制度を“柔らかく寄せる”社会を作っていけたら。
その願いを込めて、この記事を公開します。
同じ経験をした方、共に声を上げたい方がいれば、
どうかこの場からつながってください。