山県有朋の妻『山県友子』とはどんな人物?恋愛漫画あり!

山県有朋の妻『山県友子』とは?漫画で夫婦の恋愛仲を語る!

山県有朋の妻「山県友子」さん。彼女は裕福な家の出でありながら、結婚前の当時は貧乏侍だった山県有朋さんと結婚しました。明治時代に活躍した山県有朋は、伊藤博文と対照的な人物で、明治時代には珍しく他の女性には目もくれず、友子さんを愛し続けました。

山県有朋について少し解説

歴史上伊藤博文ばかりが目立ち、「山県有朋?誰だっけ??」と、日本史を勉強する際にも忘れられがちな歴史人物ですが、彼の功績は凄まじく、陸軍大将や内閣総理大臣、そして元老として活躍した人物であり、日本の政治界を支えた超重要人物なのです。

ですが、当時の民衆からは嫌われていた政治家でもあります。特に、藩閥政治を推進したり、社会運動を弾圧したりしたからです。特に、歴史の教科書にもある自由民権運動の弾圧は象徴的でしょう。

軍人であり、派閥を形成し、民衆の自由を奪う男。また、大正時代に入ると時代の波に付いて行けず、山県の周りの政治家にも見捨てられていきます。これだけ見ると、嫌われて当然ですよね。

しかし、山県にもこういった「力の秩序」を形成しようとしたのには理由があります。簡単に言いますと、国民が自由に発言し、公に出るにはまだまだ野蛮さが残っているので、まず日本に必要なのは政治統制であると考えたのです。

明治維新を迎えた日本は、まだまだ貧しく欧米にいつ植民地にされてもおかしくない状態でした。そんな状態の日本だったので、まずは帝国主義のように国を統一しなければならないと考えたのです。そこで制定された憲法が、大日本帝国憲法でしたよね。

大日本帝国憲法は、ドイツの影響をかなり受けています。国民が豊かになり、自由民主主義に移行しても大丈夫だと思ったら、フランス寄りの憲法で体制を整えようと、当時の伊藤博文は思っていたのでしょう。ですが、志半ばで安重根に暗殺されてしまいます。

伊藤博文と山形有朋は、良きライバルでもあり友でもありました。彼らの生き方や政治方針は大きく違いましたが、明治初期に日本に抱いていた欧米列強からの「危機感」は同じように感じていたのではないでしょうか?

山形有朋のやり方は、かなりストレートです。そして、保守的でもあるので外交についても慎重に考えていました。Wikipediaからの引用で申し訳ないですが、大戦後の日本について、こんな危機感を募らせていました。

大戦景気に沸いた第一次世界大戦後には債務国から債権国へ、輸入超過国から輸出超過国へと転換した。さらに戦勝国として南洋諸島のドイツ権益を引き継ぐなど日本の国際的地位も上昇したが、山県はむしろ日本の急成長によって欧米人(特に日本と同じく大戦を契機に急成長を遂げたアメリカ合衆国)が黄禍論をどんどん強めていることに不安に感じていた。

第一次世界大戦中には「黄色人種に対して白色人種が同盟を組んで対抗してくるような事態を防ぐため、何か手段を講じることは非常に大切である」と書いている。

また、軍人だからか、秩序を重んじ一度認めた相手に対して義理を大事にする男です。そんな一直線な山県の政治政策に、日本への強い愛国心を感じずにはいられません。実際に、日清・日露戦争に日本が勝利し、今まで欧米列強に植民地にされて来なかったのも、山県や伊藤が見た日本の現実をしっかりと捉え、近代化に奔走した結果なのだと思います。

山形有朋と山県友子の関係

山形有朋と山県友子の交際は、友子さんのお父さんにより一度反対されています。ですが、山県はもう一度交際を受け入れてもらえるよう申し込んでいるのです。そこまで愛した山県友子さん。有朋が残した、愛の言葉のメッセージや手紙などが現存するのかは分りませんが、友子さんとの共通点はあります。

それは、和歌を詠んだことです。山形夫妻ともに、和歌を数多く残しております。山形有朋は陸軍大将にもなったくらいなので、武術ばかりに興味があるかと思いきや、芸術や文化、そして造園にも関心があったのです。

山県友子さんは山形有朋さんよりも早くに亡くなってしまいますが、友子さんが生前の頃は、愛人もおらず、友子さん一筋で愛し続けました。そして、彼女が亡くなった後には、一人の芸者を側室として迎え入れましたが、入籍はしていません。

山県を知る周りの者は、彼の面倒見の良さを知っているので、山形有朋という男に付いて行きました。それほど、義理人情に厚い人物なのです。こういう人間性が彼にはあるので、奥さんの友子さんに対しても、誠心誠意尽くしたのだと思います。

やはり、明治維新という日本の変革期に活躍した人物なので、毎日忙しく働き回る有朋さんは、友子さんに寂しい思いをさせた(実際に、山県を寂しく思う和歌を多数残しています)でしょう。しかし、しっかりと愛情で結ばれていたからこそ、二人はずっと夫婦でやって来れたし、有朋さん他の女性を作らなかったのです。

山県夫妻の悲しい恋愛漫画

この漫画は、私の友人が描いたものです。昔、この話をJapaNEOで載せても良いかと許可をもらったお話です。

子宝には恵まれた二人でしたが、最後まで生き抜いたのは次女だけであった、といいます。友子さんの心情は、どのようなものであったか想像もつきません。友子さんの残した歌、

七草を摘むにつけても過ぎし子の年をはかなく数へつるかな

その歌の意味を、自分なりに解釈してみました。少しでも感じ入っていただけるところがあれば、幸いです。

By 友人Aさん

参考URL:http://www.ofko.jp/mimigaku/meijijinbutsu/meiji-f2.htm

(著者:不動岳志 掲載:えんじゅ2号-1999.6.15)

山県有朋と山県友子の夫婦恋愛漫画

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山県友子と山県有朋のその後

きっと、友子さんは繊細な女性だったに違いありません。愛する子供たちが、次々と亡くなっていったのです。彼女の心中を知る術はありませんが、我が子達を失くした悲しみからか、友子さんは後年、仏の世界へとのめり込んで行きました。そして、有朋さんよりも先に亡くなってしまいます。

一方、山県有朋が亡くなる時は、大隈重信の国葬とよく比較されます。大隈重信の国葬では、何万人も出席したにも関わらず、山県有朋の国葬は、わずか数百人しか集まらなかったのです。

歴史上、未だに山形有朋の存在はスポットライトが当たらず、伊藤博文と比べると陰険な印象があります。ですが、有朋さんも同じ日本を支えた英雄です。彼が亡くなった後、政府と軍を結ぶ役割を担う人物がいなくなり、その後日本の軍は暴走し始めるのです。そう考えると、彼を政界で失った影響は大きいでしょう。

そんな真面目で頑固な有朋を支えたのが、友子さんです。彼女は、漫画のようにいつも笑顔で優しい女性だったのだと思います。おそらく、悲しい表情を見せたくない為に、和歌で自分の本心を表現していたのではないでしょうか?

山県有朋と山県友子。明治時代では珍しく、強い愛の絆で結ばれた夫婦に、歴史学者やテレビ局がスポットライトを当てる日が来るのを、私は密かに待ち望んでいるのです。

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